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知ろうとすること。 新潮文庫

早野龍五(著者), 糸井重里(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2014/10/01
JAN 9784101183183

知ろうとすること。

¥473

商品レビュー

4.3

210件のお客様レビュー

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2023/10/11

原発の後の話。 対談で、原発の後について、何を発信して 何を信じたのか。 あんな事あった、こんなニュースあった、と 当時を振り返れます。 原発の数字はどこまで信じられたのか どうなっていたのか。 いつか、これが資料として使われないのを 祈るばかりです。

Posted by ブクログ

2022/01/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

震災当時、小学生だったので原子力発電所が大変なことになっているということくらいしか知らないまま大人になってしまいましたが、今になってでもどういう研究が行われていたのか知ることができて良かったです。 放射線の実験をする研究室で、高い反応が出たから機械に異常がないか探したら外から放射線が持ち込まれていたという話、興味深かったです。 目に見えないので、あっても気づかないし、無くてもあるのではないかと不安になることがある。 そういう伝えづらいものに対して、しっかり検査してデータとして真実を伝えてくれた人がいたということの有り難さをとても感じました。 声を大きく上げる人は信用できないという話もたしかにと思いました。慌ててしまう時にこそ冷静に判断していきたい。

Posted by ブクログ

2021/05/06

【感想】 ――科学と社会の間には絶対的な断絶がある。「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスとしての考え方を、一般の人たちに理解してもらうのは、とても難しいと知ったのです。 ――これからの科学者は、正しいデータだけでなく、態...

【感想】 ――科学と社会の間には絶対的な断絶がある。「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスとしての考え方を、一般の人たちに理解してもらうのは、とても難しいと知ったのです。 ――これからの科学者は、正しいデータだけでなく、態度や表現によって、人々に「伝える」ための行動を取っていくしかない。また、それを言っている発言主体が、みんなから信用されるというような生き方をしないといけない。 本書のキモはこの部分に凝縮されている。 未知の現象に対して、科学は想像以上に答えを出せない。いくら実験とデータを積み重ねても、科学のもとで「100%絶対」はありえず、確実なことは決して言えない。 しかし、「はっきりとは断定できません」という言葉では、一般の人々は納得してくれない。 では、そのとき科学者が取るべき行動はなにか?それはデータを提示することよりも、「何としても伝えたい」という態度を見せることだ、と早野氏は述べる。 震災から10年、世界はコロナウイルスという新たな危機に直面した。そして震災のときと同じように、大量のデマが人々の不安をかきたてている。 早野氏の警句は今でこそ生きる。正しい情報を発信し混乱を鎮める方法について、科学がなすべき役割を10年前から論じていた。そのエッセンスは決して古くなく、コロナ禍の今だからこそ輝くものがあるだろう。 ────────────────────────────────── 【メモ】 早野氏は3.11後、事故に関するデータをグラフにまとめ始めた。 医療被爆と中国の核実験に伴う個人的な体験から、「事故による東京での被ばくに、大きな健康被害は出ない」とツイート。 そこから各原子炉の状況を、公開情報をもとに何ヶ月にもわたって集計し始める。そしてTwitterで事故に関する情報発信を積極的に行うようになったのだ。 早野氏は給食まるごとセシウム検査、ホールボディカウンター検査など、放射能測定に関するさまざまなプロジェクトの立役者になる。福島の内部被曝の現状についてまとめ、調査論文を書くまでにいたった。 調査から分かったのは、福島の食べ物は放射線濃度が相当低く、内部被ばくの危険性は低いということであった。 内部被ばくを論じる上で目を向けるべきは「被ばく量」である。福島原発の事故の規模に対して、福島の人々の内部被ばくや外部被ばくの量は――チェルノブイリや1960年代の核実験と比較しても――きわめて低かった。また、イラクやコロラドなど、自然状態でも放射性濃度が高い国と比べても極めて低かった。 しかし、それが伝わっていない。未だに「次世代への健康被害」が起こるのではないか、と考えている人々もたくさんいる。 これからの科学者は、正しいデータだけでなく、態度や表現によって、人々に「伝える」ための行動を取っていくしかない。また、それを言っている発言主体が、みんなから信用されるというような生き方をしないといけない。 早野氏はベビースキャンという4歳以下の子供の放射線量を測る巨大な装置を作ったが、本人は「科学的には必要ない」と言っている。大人の方がセシウムの代謝が遅く身体に残りやすいため、一緒に暮らしている親から検出されなければ子どもからも検出されないからだ。 しかし、「どうしてもうちの子を測ってください」という親が現れたため、製作した。今ではむしろ、子どもを連れてきた親が何に困っているかを話すためのコミュニケーションツールになっている。 今回の事故で「社会に巣立っていく人たちにとって科学的なリテラシーがいかに必要であるか」ということが、よくわかった。科学的なリテラシーというのは、教わって得られるものではなく、自分で鍛えて身につけていくものだと思っている。 科学と社会の間には絶対的な断絶がある。「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスとしての考え方を、一般の人たちに理解してもらうのは、とても難しいと知ったのです。 科学というものは、間違えるものなのです。だから科学者は「こういう前提において、この範囲では正しい」というふうに説明しようとする。でも、これは一般の人にはわかってもらえない。 人は大きな物音や騒ぎに目や耳を向け、簡単に興奮し、恐れたり脅かしあったりしやすい生き物です。しかし、本当に大変な事態になったときには、事実をもとにして冷静に判断をしなければなりません。そういうことに当たるときの姿勢というのは、もともと身についていないものですから、あらためて習う必要があります。

Posted by ブクログ

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