店舗受取サービス対応商品
店舗受取なら1点でも送料無料!
店舗到着予定
4/23(火)~4/28(日)
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | KADOKAWA |
発売年月日 | 2019/07/24 |
JAN | 9784041084038 |
店舗受取サービス
対応商品
店舗受取なら1点でも送料無料!
さらにお買い物で使えるポイントがたまる
店舗到着予定
4/23(火)~4/28(日)
- 書籍
- 文庫
宮廷神官物語(七)
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
宮廷神官物語(七)
¥330
在庫あり
商品レビュー
4.3
11件のお客様レビュー
曹鉄が王家の血筋を引くことがはっきりしたことにより、藍晶王子と曹鉄は、心ならずも「いずれがより王位継承者として相応しいか」を争う立場に置かれ、自由に会うこともままならなくなってしまう。 藍晶王子の立太子を支持する側の鶏冠、様々な手段で惑わされ孤立する曹鉄、そして慧眼児として迂闊に...
曹鉄が王家の血筋を引くことがはっきりしたことにより、藍晶王子と曹鉄は、心ならずも「いずれがより王位継承者として相応しいか」を争う立場に置かれ、自由に会うこともままならなくなってしまう。 藍晶王子の立太子を支持する側の鶏冠、様々な手段で惑わされ孤立する曹鉄、そして慧眼児として迂闊に動けなくなってしまった天青。 旅を共にしあった仲間たちの絆が試される。 うんうん、安心の面白さ。 ラストも…まぁ、そんなことがあるんじゃないかと予測はしてたけど…だからこそ、『麗虎国物語』『慧眼児物語』ではなく、『神官物語』なのね。 素直にやきもきハラハラ楽しませてもらおう。
Posted by
鶏冠逃げて〜〜!!!って感じで終わりましたね(笑)曹鉄もようやく自分で考えられるようになったようだし、これからの話に期待! 九巻も発売されるけどあと2冊しかないと思うと……十巻はいつ発売になるかな〜!
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
動の6巻から、静の7巻へ。 渦巻く大きな流れを感じながら、話としては大盛り上がりですが、その動きは「静」の7巻で話が進んでいきます。 ひたすら、「静」として、それぞれが身動きが取れないような、心の内側に向かうような、そんな「考える」ことが多くなる1冊。 これまでの6巻では、比較的動くことが多くて、考え込むよりも、動いてわかりやすい物語だったので、この考え込むような1冊があることで、また宮廷神官物語の深みが生まれたように思います。 こういう内内の気持ちに向かっていくような書き方が多いのも好きなので、読むのが楽しかったです。 より登場人物たちの心情を理解する1冊は、これまで6巻の話があったからこそ、また引き立てられるものがあります。 そろそろネタバレです。 少し話は変わりますが、私は小野不由美さんの『十二国記シリーズ』が好きです。 十二国記はどちらかといえば中華系ファンタジー、宮廷神官物語はどちらかといえば韓国系ですね。 7巻148ページの鶏冠と天青のやりとりで、 天青が「……曹鉄は鶏冠を、もう信じてないかもよ?」と問い、 それに対して鶏冠が「相手がどうかは関係ない」「信じるとは、そういことだ」 と答えます。 この言葉に、十二国記シリーズ『月の影 影の海』での主人公の言葉に、 「世界も他人も関係ない。私は優しくしたいからするんだ!信じたいから信じるんだっ!!」 というものがあります。 この言葉を思い出しました。 十二国記は私が多感な青春期に出会った話で、この主人公と同年代として読んだ物語です。 そのため、この『信じる』ということに対しての言葉は、私に強く印象付けられたのですが、その時の気持ちを宮廷神官物語で思い起こされました。 時として『信じる』ということは、馬鹿を見ることもあります。 鶏冠は、物事を冷静に正しく見ようという気持ちがあるから、信じる人と信じない人とを区別としなければならないと理解している人だと思います。 が一方で、信じる人に一度入れてしまったら、そこから信じてはならない人だと判断するまでが遅かったり、信じる人に入れるための門戸が緩いこともあるのかもしれません。 そのような場合に、「何もなくてよかったね」で済めばいいけど、「馬鹿を見る」ことも多い人なのだと、ちょっと読んでいて思いました。 そして、それは曹鉄にも共通するところがあって、そんな共通点のある2人の仲違い(というには深い亀裂)が切なくなります。 さらに、今回は藍昌王子もまた『信じる』に翻弄されています。 これまでも鶏冠や天青・赤烏にも櫻嵐にも、「信じる」という言葉を用いてきたけど、今回はさらに深く「信じる」と使っています。 これだけ多くの人生を翻弄とさせられる出来事でも「信じる」という実態のないものでしか、担保にできないんだなと思うと同時に、「信じる」ことの強さや「信じる」ということ以上に真実につながるもはないんだろうなとも思います。 こうやって感想として書くと、途端にチープになってしまうけどね。 苑遊は誰も「信じられない」けれど、自分の信念というものが何か明確にあります。 「信じる」ことの誠実さ・正しさ・強さは、「=信念・信条」とも言い切れないことの寂しさもありますね。
Posted by