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公園へ行かないか?火曜日に

柴崎友香(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2018/07/31
JAN 9784103018339

公園へ行かないか?火曜日に

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商品レビュー

4

21件のお客様レビュー

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2024/03/29

ううむ、アメリカ文化やトランプ当選時の空気感について読みたくて手に取ったのですが、ちょいと期待外れ。著者自身が何度も書くように、英語が苦手だからそこまで深い会話や情報収集ができていないのですよね。「よくわからなかった」「聞き取れなかった」で著者の思考がぶつりと途切れることが多くて...

ううむ、アメリカ文化やトランプ当選時の空気感について読みたくて手に取ったのですが、ちょいと期待外れ。著者自身が何度も書くように、英語が苦手だからそこまで深い会話や情報収集ができていないのですよね。「よくわからなかった」「聞き取れなかった」で著者の思考がぶつりと途切れることが多くて苛々してしまった。 それを「ものを分かったような気になって分析しない謙虚さ」と捉えているレビューがあり、なるほどそういう見方もあるかと唸ってしまいました。分からないことを分からないと書ける誠実さ。 海外旅行・留学中って、主に言語力の欠如により自分の得られる情報量が限られている分、物事がシンプルに見えて(本人は気づいていない)、あれこれ語りたくなるものなんですよね。それを自制しているように見える柴崎さんはやはりさすが作家、なのかも。 でも、「英語が苦手だから」があまりにも言い訳的に多用されている気がして…。辛口ごめんなさい。

Posted by ブクログ

2023/07/05

滝口悠生のアイオワ日記、中上健次のアメリカ・アメリカに続いて読んだ、IWPの参加作家の本。 実は柴崎さん自体を読んだのも初めてだったけど、繊細な書き方に引き込まれる。 この人の視点、好きだなあと思った。 読みやすいし丁寧。 ちょくちょく、自分を取るに足らないものに感じられてショ...

滝口悠生のアイオワ日記、中上健次のアメリカ・アメリカに続いて読んだ、IWPの参加作家の本。 実は柴崎さん自体を読んだのも初めてだったけど、繊細な書き方に引き込まれる。 この人の視点、好きだなあと思った。 読みやすいし丁寧。 ちょくちょく、自分を取るに足らないものに感じられてショックを受ける様子が描かれる。 とくにラストのNY旅行で、アジア人で女で、背が低いから、と扱いが雑にされる様はわたしもよくわかるので苦しくなった。 英語が苦手ながら、周囲の作家たちといい関係でいたいと頑張る様子は新入社員のよう。 でも周囲の人はもっとクールでざっくばらんな感じ。わかるーーーう。 途中、2ヶ月中断を挟んだ本だったけど、時系列ではないパラグラフなので読みやすかった。 ニューオーリンズの幽霊たち、言葉音楽言葉、が面白かった。 映画好き、音楽好きだったことはアメリカ暮らしに幸したはず。 アメリカの博物館事情も興味深い。 アトラクション型や、追体験型がある。なるほど。 ホロコースト記念博物館の話の終わり、ここの警備員が白人至上主義者に撃たれて最近亡くなった、の表示に胸を突かれる。 アメリカは、なんてとこだ、とアメリカにいかなければ、わからないのだし、アメリカにいたことで、日本の社会や日本語での思考に気づくことができるのは普段当たり前にいる世界のレイヤーに気づく好機なんだろう。 同様に、他の国から来た作家の心のうちに想いを馳せたり、自分の大阪弁への思いに気づくのも面白い。 アメリカと野球とか。 柴崎さんの本もいずれ読んでみようと思った。

Posted by ブクログ

2023/04/16
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 最近小説読んでいないのでリハビリ的に読んだ。アイオワ大学のライティングプログラムに参加した話をつづった小説であり、虚実の境が曖昧で日記、エッセイ的な小説でオモシロかった。基本は世界中から集まった作家たちのある種のモラトリアム期間の記録というストレートなオモシロさが一番にくる。アメリカでの生活、参加者間のカルチャーギャップ、誰と何を話したかなど。著者は英語が話せないことを悔いている場面も多いが、それも含めてコミュニケーションの記録であり体験記として興味深かった。例えばこんな風。 *目の前に確かにあるものと、人の意思や関係ややりとりで成り立っていることと、今自分と話している人が思っていること知っていること、私が理解していることが、常に少しずつずれていて、それがときどき重なったりつながったりして、いくつもの層のあいだを漂っているみたいに、暮らしていた。*  以前に滝口悠生さんによる「やがて忘れる過程の途中」という同じくアイオワ大学のライティングプログラムを題材とした小説を読んでいたので大まかな全体の流れは理解していたが、やはり作家が違えばこれだけ書き口、パースペクティブが異なることが興味深かった。一人称で書かれているのだけども、会話描写が少ないからなのか全体に距離を感じた。観察日記的とでも言えばいいのか。起こっていることと自分の考えの擦り合わせについてたくさん書かれている。特にトランプが大統領選で当選したタイミングで当時の現地の空気を日本の小説家の視点で読むのが新鮮だった。もしかすると距離を感じたのはトランプが生んだ分断の空気の影響もあるかもしれない。実際旅行者とはいえその風に晒されているような描写がいくつかあり、あの頃から世界は少しはマシになったのだろうかと考えたりもした。  日本にいるだけでは、相対的な日本および日本語の価値や意味などが掴みにくい。アメリカで英語で周りの人たちとコミュニケーションを取る中で著者による日本語の論考は興味深かった。端的にはこういうこと。いつかいってみたいアイオワ大学。 *ここから見るそこと、そこから見るここ。 ここにいるから見えるそこと、そこにいるから見えるここ。ここにいるから見えないそこ。ここにいるから見えないここ。*

Posted by ブクログ

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