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アルピニズムと死
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アルピニズムと死
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商品レビュー
3.8
22件のお客様レビュー
尊敬するアルピニスト、山野井泰史さんが語る、それまで死なずに山から生きて帰ってこられた理由。 出会った仲間の死亡率の高さに驚く。 彼ほど自分の力を冷静に見極め、山に向かう人はそういないのではないかと思った。 生きること、生きていることを、よりくっきりと自覚させてくれる本だった。
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自分の生き方とか、そういうものを読んでいると考えさせられる。 登山は無理だから、自転車でクライマーになろう。
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山野井泰史(1965年~)氏は、世界各地の大岩壁や前人未踏の山々に新たなルートを切り開き、南米パタゴニアのフィッツ・ロイ冬期単独初登攀(1990年)、ヒマラヤのチョー・オユー南西壁新ルート単独無酸素初登攀(1994年)、K2南南東リブからの単独無酸素初登攀(2000年)等の実績を...
山野井泰史(1965年~)氏は、世界各地の大岩壁や前人未踏の山々に新たなルートを切り開き、南米パタゴニアのフィッツ・ロイ冬期単独初登攀(1990年)、ヒマラヤのチョー・オユー南西壁新ルート単独無酸素初登攀(1994年)、K2南南東リブからの単独無酸素初登攀(2000年)等の実績を持つ世界のトップクライマーのひとり。2021年には、クライミング界のアカデミー賞とも称され、アルパイン・クライミング界で著しい業績を残し、次世代のクライマーたちに多大なる影響を与えた者に対して贈られる「ピオレドール・生涯功労賞」を、アジア人として初めて受賞した(過去の受賞者はラインホルト・メスナーなど12人のみ)。妻は同じく登山家の山野井(旧姓長尾)妙子。そのクライミングのスタイルは、単独、無酸素、未踏ルートを重視するものである。 私は、高尾山に登ることすらない普通の会社員だが、ときどき登山家(冒険家)の本を読みたくなることがあり、これまでに植村直己、長谷川恒男、竹内洋岳、石川直樹、近藤謙司らの本を読んできた。 また、山野井泰史については、本書にも詳しく書かれている、2002年に山野井妙子と臨んだ世界第15位の高峰ギャチュン・カン北壁の登攀(泰史は登頂に成功。妙子は体調不良で途中で撤退)の下山中に、嵐と雪崩に巻き込まれ、瀕死の状態で生還した(重度の凍傷で、両手の薬指と小指、右足の全ての指ほか計10本を切断)記録を、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が作品化し、講談社ノンフィクション賞を受賞した『凍』も読んでいる。 本書は、中学生の頃から2013年までの自身のクライミングを、失敗を含めて振り返り、20代には山の仲間から「あいつが一番死ぬ確率が高い」と噂され、「天国に一番近い男」と呼ばれながら、何故これまで死なずに山を登り続けてこられたのかを意識して書かれたものである。 そして、山野井氏は、自らを「若いころから恐怖心が強く、常に注意深く、危険への感覚がマヒしてしまうことが一度もなかった」、「自分の能力がどの程度あり、どの程度しかないことを知っていた」、「山登りがとても好き・・・山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好き」と分析し、それ故に「今まで生きてこられたのかも知れません」と結んでいるのだが、トップクライマーと言われた人たちの少なからぬ人が山で命を落としていることからすれば、素人から見れば、それらは、死なないための必要条件ではあっても十分条件ではなく(もちろん若いクライマーの参考にはなるだろうが)、突き詰めれば、山野井氏は強運の持ち主だったということなのだと思われる。 一度限りの人生をどのように生きるかは、(他者に迷惑を掛けない限り)それぞれの自由である。よって、山を選んだ人たちが、仮に山で死んだとしても、それが幸せであったか不幸であったかは当人以外にはわからないし、わかる必要もないだろう。(山野井氏は、「たまたま山で命を終えたことが悪いとは思えません。でも、夢半ばであったことが、残念に思えるのです。」と書いているが) それでも、私のような、必ずしも起伏の大きくはない人生を送る人間にとっては、クライミングや冒険の記録は、生に対する刺激を分けてもらうという意味があるし、それ故に、たまに手にしたくなるのだ。 (2022年12月了)
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