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音楽嗜好症(ミュージコフィリア) 脳神経科医と音楽に憑かれた人々 ハヤカワ文庫NF

オリヴァー・サックス(著者), 大田直子(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 早川書房
発売年月日 2014/08/23
JAN 9784150504144

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音楽嗜好症(ミュージコフィリア)

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商品レビュー

4.3

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2022/09/13

プロの音楽家の脳は一瞬のためらいもなく見分けることができるらしい……他の芸術家、作家、数学者とかの脳は、ほとんど不可能なのに。それくらい、音楽家の脳梁は肥大しているし、運動野、聴覚野、視覚空間野(?)、小脳も発達しているんだって。あと、音楽に定期的に触れることで、脳の音楽を聞いた...

プロの音楽家の脳は一瞬のためらいもなく見分けることができるらしい……他の芸術家、作家、数学者とかの脳は、ほとんど不可能なのに。それくらい、音楽家の脳梁は肥大しているし、運動野、聴覚野、視覚空間野(?)、小脳も発達しているんだって。あと、音楽に定期的に触れることで、脳の音楽を聞いたり演奏したりするために協調しないといけない部位の発達が刺激されるから、音楽は読み書きと同じように教育上重要なんだとか。私も音楽したくなった。自分の子どもにも経験させてあげたくなった。

Posted by ブクログ

2021/06/23

面白かった。この本ほど「自分にとっての音楽とは何か?」を真剣に考えさせられた本はありません。また、これほどまでに音楽的才能というのが解剖学的遺伝(つまり生まれつき)からの影響に支えられている事に驚き、自分には自分が生まれつき持っている手札で鍛錬していくことしか出来ないのだという事...

面白かった。この本ほど「自分にとっての音楽とは何か?」を真剣に考えさせられた本はありません。また、これほどまでに音楽的才能というのが解剖学的遺伝(つまり生まれつき)からの影響に支えられている事に驚き、自分には自分が生まれつき持っている手札で鍛錬していくことしか出来ないのだという事実と、自分には自分が生まれつき持っている手札を存分に使って良いのだと選択肢を貰いました。私と貴方が聴いている音楽への認識に、例えどれほどまでに違いが合ってもそれはそれで良いのだ。名著。

Posted by ブクログ

2020/08/02

文字通り“雷に打たれて”以来、ピアノを弾くことに取り憑かれてしまった医師。隣人の家から大音量で流れるレコードプレーヤーの音楽のような幻聴。聴覚は機能しているのに脳が音楽を構成する要素をうまく感知できず、無感動になってしまう失音楽症。反対に、言語に不自由を抱えている人たちが音楽の力...

文字通り“雷に打たれて”以来、ピアノを弾くことに取り憑かれてしまった医師。隣人の家から大音量で流れるレコードプレーヤーの音楽のような幻聴。聴覚は機能しているのに脳が音楽を構成する要素をうまく感知できず、無感動になってしまう失音楽症。反対に、言語に不自由を抱えている人たちが音楽の力によって、コミュニケーション手段やアイデンティティを取り戻す過程。脳神経科医の著者が出会い、あるいは送られてきた手紙や時に自身の体験談から、音楽とヒトの脳の関係を語ったノンフィクション。 私が本書で一番興味深かったのは絶対音感にまつわるくだり。ニューヨークと北京の音楽学校で行った調査で、4歳から5歳のあいだに音楽の訓練を始めた生徒のうち、中国人生徒は約60%が絶対音感の基準を満たしていたが、英語話者の生徒は約14%しか基準を満たしていなかったという。この差は中国語が言葉の意味を区別するのに音の高低パターンを用いる「声調言語」であることに関わっている。幼児期において言語能力の発達はふつう絶対音感の保持を妨げるのだが、声調言語はそれ自体音感を必要とするために、絶対音感も保たれるということらしい。 これは同時に乳幼児はみな絶対音感の潜在能力を持っているのだが、言語を習得するため、あるいは聴覚情報を総合的に処理できるようになるために抑制されていくものだということも表している。話はさらにネアンデルタール人の時代へ飛び、原始の人類は音楽でコミュニケーションをとっていたはずなのだが、言語の発達により大部分の人間は絶対音感を失くし音楽能力が縮小した、というスティーヴン・ミズンの仮説を紹介している。 まるで「文字禍」。他の章では古代ギリシャ人が膨大な「イーリアス」や「オデュッセイア」を覚えていられたのは叙事詩に節がついていたからだ、という当然の指摘もあり、ネアンデルタール人と比べて音感が退化してからも人びとは音楽で記憶をつなぎとめていたとわかる。言葉と文字が音楽をコミュニケーションの中心から追いやってしまったのだろうか。 もちろん音楽は今でも人間の記憶と感情を喚起させる力を失ってしまったわけではない。本書第3部、第4部で紹介された音楽療法で救われたさまざまな人たち、特にチック症状に悩むトゥレットの患者たちがドラムを叩くことで解放されていく姿にはとても感動した。視覚・聴覚・知覚に障害を抱える人みなに音楽が作用するのはそれが〈振動〉に他ならないからではないかとも思い、コロナ禍の今、現場で音楽を共有することの意味をまたもう一度考えることになった。 音楽に救われた人だけでなく、音楽に苦しめられた人びとも紹介されている。その多くは耳をよく使う音楽家だ。蝸牛管の衰えによって大脳皮質における音のマッピングが歪んでしまい、音感がズレてしまった作曲家の「自分がもっている耳で仕事をするんですよ。自分がほしい耳ではなくてね」という言葉には胸が痛んだ。聴覚が変調をきたすと、その空白を補うために脳が幻聴を聞かせることもある。ヒトの脳は〈意味〉を求め、〈意味〉をつくりだすことから逃れられないのだ。

Posted by ブクログ

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