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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2014/06/12 |
JAN | 9784334752927 |
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ハックルベリー・フィンの冒険(上)
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ハックルベリー・フィンの冒険(上)
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商品レビュー
4.3
7件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
トム・ソーヤーの冒険よりも文学的に評価されているとと聞いていたが、たしかにこちらの方が面白かった。トム・ソーヤーの方は次から次に「なんでそんなことするの…」というようのいたずらばかりで保護者の方に同情してしまっていたが、こちらではスタートからして閉塞感のある未亡人宅や現代風では「毒親」である父からの脱出だというのもあり、社会についての疑問の独白もあり一部は共感できた。トム・ソーヤー以上にすぐ殺し合いだのリンチが起こるしナチュラル人種差別が根底にあるしと倫理観の差に驚かされる。簡単に他人の家に上がり込んでしばらく滞在したりとおおらかさもある。また、近代と思いきや未だにかなりの迷信が登場するのも少し意外。 懸賞金のかかっているジムを通報せずに旅を続けることの是非を自問自答するシーンは特によかった。
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マークトウェインの小説の中では、トムソーヤの冒険よりもハックルベリーフィンの方が評価が高いと知っていたが、これまで読む機会がなかった。 図書館で何気なく手に取って読んでみた。 ハックの独白(回想)で物語が進んでいくが、その口調がとても読みやすく、すらすら読めた。 ミシシッピ川を筏...
マークトウェインの小説の中では、トムソーヤの冒険よりもハックルベリーフィンの方が評価が高いと知っていたが、これまで読む機会がなかった。 図書館で何気なく手に取って読んでみた。 ハックの独白(回想)で物語が進んでいくが、その口調がとても読みやすく、すらすら読めた。 ミシシッピ川を筏で下りながら様々な出来事が起こる。 すべてがこの小説が書かれたその当時(1880年代)の社会を反映していると思われるのでめちゃくちゃな内容でもとても興味深い。 さらにハックが時々漏らす本音(筏の上が一番自由である、等)や、考えても考えてもわからないこと(黒人のジムと一緒に旅していることの善悪)などにとても共感でき、この本が歴史的に評価されている理由が少しわかる。 トムソーヤも読んで比較してみたい。
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誰もが一度は耳にしたことがあるであろう作品、「ハックルベリー・フィンの冒険」。これは同じトウェインの「トム・ソーヤーの冒険」の続きにあたる作品である。 自分は「トム」は読まずに本作を読んでしまったのだが、「ハック」だけでも十分読むに値する作品である。 時は19世紀半ば、アメリカ...
誰もが一度は耳にしたことがあるであろう作品、「ハックルベリー・フィンの冒険」。これは同じトウェインの「トム・ソーヤーの冒険」の続きにあたる作品である。 自分は「トム」は読まずに本作を読んでしまったのだが、「ハック」だけでも十分読むに値する作品である。 時は19世紀半ば、アメリカ南部ではまだ奴隷制が普通に存在した時代。 主人公のハックルベリー・フィンは、父親の元からの逃避行の途上で、知り合いの黒人奴隷ジムと行動を共にするようになる。 ハックは、ジムを逃がそうとし、北部の奴隷制の無い自由州へ向かおうとする。 その道中の物語が本作の内容である。 今のアメリカで奴隷制を正しいと思っている人はいないだろうが、当時はごく当たり前のこととされていた。 当然ハックもその「常識」に捉われていたのだが、ジムとの個人的な交流をとおして、彼も自分も同じ人間であることを知らされ、奴隷として扱うことに躊躇いを見せるようになる。 作中、彼自身はそれを「地獄に行ってでも」というほどの覚悟で宗旨替えをすることになるのだ。 この作品を読んで強く感じたことは、「常識」が人を捉える力の強さと、その「常識」の相対性だ。 どんなに開明的で先入観のない人であっても、人間社会で過ごしている以上は、何かしらの常識の元で育ってきているわけで、そしてそれは自身と渾然一体となっていて、不可分のものとなっている。 だから、その常識から解き放たれるということは、文字通り自己の一部を喪失する体験に違いない。 それほど重く困難なことなのだ。 歴史上の人物のその時々の判断に対し、現代の視点から評価をしてしまいがちだが、その時代の常識の枠から超え出ることがどれほど困難なことか、それはよくよく差し引いて考えねばならないことだろう。 そして、どんなに堅固に見える常識であっても、絶対不変なものもない。 つまり、今正しいと思われていることも、数百年後の人々にはおかしな風俗の一つと見られるようになる時が来るということである。 だから、世の常識・良識や倫理観に抗う必要はないのだが、あまりにカチカチの原理主義に陥るのもどうだろう、 まあそういう考えもあるよね、とりあえずは妥当だよね、という程度の距離感で捉えておくのがよいのかもしれない。 そうでないと、それこそ世の「絆」に縛られて、身動きできなくなってしまうだろう。
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