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歎異抄 現代語訳付 文庫判

親鸞述(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 本願寺出版
発売年月日 2002/12/01
JAN 9784894161061

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商品レビュー

3.8

7件のお客様レビュー

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2022/12/31

「信じる」とはどういうことか。その親鸞の姿を唯円が伝えている。ただ、現代においてはそれを理解できる人は随分少なくなっているのではないか。 「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈やことなら...

「信じる」とはどういうことか。その親鸞の姿を唯円が伝えている。ただ、現代においてはそれを理解できる人は随分少なくなっているのではないか。 「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈やことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。」(p16「第二条」)

Posted by ブクログ

2022/09/28

私は出身が龍谷大学なので『歎異抄』は必修科目だから、仏教専攻ではないにもかかわらず内容は知っていた。それどころか授業と関係なく家で読んでいて涙を流すというようなこともあった。 卒業して15年経って、真宗のしの字もなくなった今、どうして歎異抄を購入しようと思ったのか、自分でもよく...

私は出身が龍谷大学なので『歎異抄』は必修科目だから、仏教専攻ではないにもかかわらず内容は知っていた。それどころか授業と関係なく家で読んでいて涙を流すというようなこともあった。 卒業して15年経って、真宗のしの字もなくなった今、どうして歎異抄を購入しようと思ったのか、自分でもよく覚えていない。3年ほど前から、昨今流行りの「マインドフルネス」をしていて、それの影響であろうか。「マインドフルネス」は瞑想から宗教的な要素を抜いた、科学的根拠のある心のトレーニングと言われている。でも、ずっと瞑想をしていたら、やっぱり「宗教」的なところに触れたいということになってきたのである。それで、自分が宗教書の中で感動をしたことがある本書『歎異抄』を手に取った。私はなぜ感涙したのだろうか。その体験についてもう一度考えてみよう、という振り返りをしたいという気持ちもあったと思う。 一日一条声に出して読んで十八条しかないので、一か月たらずで読み終える。読んでいると腰のあたりが誰かに触れられているようにあたたかくなってきて、涙が込み上げてきた。学生時代とまったく同じである。そのときとは違うのは、この『歎異抄』が仏教のなかで、かなり「ラディカル」な立場だということを気づきながら読んだ、ということだ。学生時代はこれが最初の仏教書だったので、これが当たり前だと思っていた。仏教史に照らして、その特異性について、理解はしていた。とはいえ、その流した涙については同じなのであるが。 ではどこがラディカルなのであるか。それは「他力」の思想である。マインドフルネスをしている。そうすると、体調がよくなる。集中力もあがる。頭の回転もよくなる。言語表現も活発になる。仕事もうまくいく。他人の考えも読める。人間関係がよくなる。あとタバコも酒も辞められた。早寝早起きできる。運動大好きになる。いいことづくしだ。瞑想はいい!という私に対して「だからどうなるというのだ」と言うのである。それでギクッとなるのである。 マインドフルネスは「気づく」ということ、物事をありのままに「観察」するということだ。人生の諸々のドラマをカメラマンとして撮影しながら生きるようなものである。そうしていると、あたかも部外者であるかのように、生きるようになる。で、それで歎異抄は「だからどうなるというのだ」と言うというのは、「観察しながら生きているとしても、あなたは人生の登場人物なんです」というわけだ。どこまでもそのドラマからは抜け出すことはできない、という。そのドラマのストーリーにまきこまれ、登場人物としてのキャラをまっとうせずにはおれない、この運命のようなものを「宿業」という。親鸞のことを信じるか? はい。 では、私の言うことは何でも聞くか? はい。では、いまから人を千人殺してこい。それは無理です。そうだろう、そのように、悪を行うのはその人の意志ではない。それは前世から決まっているのだ。 そういうところで、自分の傲慢さというものに気づかされて、じわっと心がゆるんでいき、善悪を越えたところへ、ひらいていく。それで私は涙をながす。善悪を越えた、というが、それは「超越」というような堅く崇高なところではなく、深くじわっとした水のような「浸透」のような感覚である。「ラディカル」と言ったのは、私の日常の感覚からかけ離れているという意味、でもある。しかし、もう一つあるのが、親鸞の生きた「時代・場所」としてそれが「ラディカル」な思考を求めたということ。今言った「浸透」ということが、東アジア「日本」の湿潤な気候と大いに関係していると思われる。そして、平家を源氏が滅ぼして鎌倉時代にはいっていったその「中世」ということとも関係があるだろう、と感じた。阿弥陀仏が救うのは「親鸞一人がためなり」と言ってみせた個性的な仏教が、最も数の多い信者を獲得していく逆説をここで語るまい。 今言った「超越」ではなく「浸透」という発想は、書きながら思いついた私の独創である。他の仏教書を読み進めている。『正法眼蔵』『大乗起信論』『金剛般若経』これらの仏典の「個性」について知りたい。他にも『新約聖書』と『クルアーン』も同時に読んでいる。必死に神にすがるというよりは、宗教書の「あじわい」についてこれから書けたらと思う。 ちなみに、本願寺出版社のこれは、龍谷大学の授業で使ったもの。現代語訳がついていてよい。それに400円と安い。まず買うならこれである。

Posted by ブクログ

2021/03/21

あるとき、 僕は浄土真宗の教えに疑問を持ち、それ以来、多くの書を読み仏教の真理を学んできた。 それでも「僕はなぜ毎朝阿弥陀仏にお経をあげ、お勤めをしているのだろう?」という原始的な疑問は拭いされず・・・ 久々に歎異抄を手に取った。 目から鱗とはこの事。 まさに今が機縁だった...

あるとき、 僕は浄土真宗の教えに疑問を持ち、それ以来、多くの書を読み仏教の真理を学んできた。 それでも「僕はなぜ毎朝阿弥陀仏にお経をあげ、お勤めをしているのだろう?」という原始的な疑問は拭いされず・・・ 久々に歎異抄を手に取った。 目から鱗とはこの事。 まさに今が機縁だったようだ。

Posted by ブクログ

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