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わが映画批評の五〇年 佐藤忠男評論選

佐藤忠男(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社/
発売年月日 2003/09/29
JAN 9784582282481

わが映画批評の五〇年

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商品レビュー

5

2件のお客様レビュー

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2019/10/25

★★★★★★ 今迄、映画をたくさん観てきたけど、表層的な部分を舐めるように見てきた様な虚しさを感じさせられた。というのがこの佐藤さんの奥深い洞察と幅の広い知識の映画を見つめる姿勢に触れて感じたまず第一の感想です。  “この人の映画に対する眼差しにもっと早くから接していてから映画を...

★★★★★★ 今迄、映画をたくさん観てきたけど、表層的な部分を舐めるように見てきた様な虚しさを感じさせられた。というのがこの佐藤さんの奥深い洞察と幅の広い知識の映画を見つめる姿勢に触れて感じたまず第一の感想です。  “この人の映画に対する眼差しにもっと早くから接していてから映画を観ていればもっと多くのものを映画から得られていたに違いない”という確かな感触が、うえにあげた第一の感想になってしまったのだと思う。  でも、それはそれ、経験が浅く、知識も薄いときにしか感じられないものでもある。そうだ、小学生や中学生の頃の思い出なんかまさにその典型だ。幼稚だから、価値がないとか、意味がないというかいうものではない。  早熟か大器晩成かの違いのように、偶然が作用することもあるし、その個人の特異性もある。  ただ、世界が広がってしまった時からはもう、(知ってしまつまたことはもう)知らなかったことにはできなくなるという不可逆性だけは確かにある。だから、、、

Posted by ブクログ

2013/03/10
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※このレビューにはネタバレを含みます

佐藤忠男の映画に関するちゃんとした批評を読むのは二度目になる。それまでも新聞などでアジア映画に関わっての短評などは目にしていたが、その硬質な文章とおよそ愛嬌というものの感じられない写真から、何となく肩肘張った人のように想像して敬遠する気があったのだろう。それが、伊丹万作の文章をダシに創成期の日本映画を論じた「伊丹万作『映画指導論草案』精読」を読んで一気にファンになった。これは、伊丹が書いた演技指導論をもとにして、実際の映画が作られていく現場に当てはめて佐藤が自由に解題していったものだが、伊丹の考えたであろうことを尊重しながらも、佐藤の映画に対する姿勢を示す絶好の日本映画論になっている。 前述の本もそうだが、何しろよく映画を見ている。日本映画が一番面白かった頃、素人の映画愛好家から出発して、とうとう職業的批評家になってしまった人である。映画に対する愛情とその勉強家ぶりは群を抜いている。出発当初は工員上がりという来歴に注目されがちであったというが、少数者や弱者に対する視線と多数者や権力を持つものに向ける視線は今でも明らかに違う。アジアや中近東の映画に寄せるこの人の情熱は日本だけでなく世界にもアジアその他の地に優秀な映画の存在することを紹介する力になっているし、日本の若い映画作家の発掘、紹介もこの人なくしてはずいぶん貧しいものになってしまうことだろう。 その佐藤が自分の映画批評生活五十年を総括したのがこの本である。十年単位で一括りとして、それぞれを代表する批評が何編か取り上げられるとともに、その時代を総括する文章が新たに書き下ろされている。初期の昂揚した口吻が堪能できる1950年代の批評では『泣くことについて』、『黒澤明論』、『斬られ方の美学』が、この人の硬派ぶりが遺憾なく発揮されていて秀逸。日本映画に見られる泣くという表現のあんまり手放しな有様に疑問を呈し、黒澤作品ではただただ無能に見える百姓の描かれ方に不満を訴え、その当時のチャンバラ映画の斬られ方に無声映画時代の迫力が欠けていることを憂える。まるで何かに向けた怒りがぶつける相手を見つけられないままにそれらに向けられているのではないかと疑いたくなるほどの慷概ぶりである。 年齢を重ねるにつれ、激越な調子は背後に隠れ、冷静な観察眼が光る批評が増えてくるのだが、世論や世相がよしとするものに対する疑問を提示するという作風は一貫している。マッカーシズムの前に同僚を裏切ったとして批判されたエリア・カザンを論じた文章など、ギリシア系トルコ人としてのカザンのアメリカ社会に対する屈折した心理を論じていて興味深い。また、日本に本当に家族主義なる伝統があるのかどうかという視点で論じられた「『ゴッドファーザー』と家族崩壊」など、映画批評の枠を超えて面白い。 日本的な諦念や無常観を描いた作家として受け止められていた小津安二郎が実はきわめてアメリカ的な感覚に満ちた映画作家であったことなど、今ではよく知られていることかもしれないが、この人の小津論や溝口論を契機として、次第に取り上げられてくる。そういう意味で、日本の映画批評を語るとき佐藤忠男を抜きにしては語れない。「古今東西南北の映画を見てきた」と豪語する佐藤のことである。映画批評としての文章は非常に限られたものしか取り上げられていない。ただ、その中に『キューティー・ブロンド』などという明らかに毛色の違う作品表が収録されているところに、著者の健在ぶりを知ってうれしくなる。巻末に「私が選んだ八00本の映画」というリストが収録されていて著者の関心の在り処を知るのに便利。

Posted by ブクログ

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