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ケの美 あたりまえの日常に、宿るもの

佐藤卓(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2018/10/31
JAN 9784103510727

商品レビュー

4.1

10件のお客様レビュー

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2022/12/29

装丁も文章も、それぞれの品々も美しく好物です。 展覧会またしてほしいです。 冬の寒い日にぬくぬく毛布に包まり、静かなひとときを過ごすのにぴったりの良書です。 土井善晴先生がお料理だけでなく、ものすごく文才がおありなことも驚きました。

Posted by ブクログ

2022/09/06

日常の豊かさとはなんだろうなと考えていると「ケハレ」によく出会う中でたまたま目についた1冊。 さまざまなクリエイター達の思う「ケの美」や日用品とともに自分にとって日常とは何かをもっと考えさせられる。  土井善治さんはもちろんのこと柳家花緑さんや小山薫堂さん、千宗屋さんなどの言...

日常の豊かさとはなんだろうなと考えていると「ケハレ」によく出会う中でたまたま目についた1冊。 さまざまなクリエイター達の思う「ケの美」や日用品とともに自分にとって日常とは何かをもっと考えさせられる。  土井善治さんはもちろんのこと柳家花緑さんや小山薫堂さん、千宗屋さんなどの言葉は自分にとっても良い気づきとなった。 『しかし、一日の流れの節目でお茶を頂く時間は、(中略)特別な時間となる。つまり日常の中の非日常、ケの中のハレの時間だ』 『喜びやワクワクが習慣になっている人は、また喜びやワクワクを引き寄せます』

Posted by ブクログ

2022/04/13

千 宗屋(お茶の方) ハレとケは対概念ではなぬ、各々がそれぞれの性格を複合的に内包している。日常で客を迎える、食事の際は家族一同で威儀を正して食をとるなど。ハレの時と場が存在していたはず。 茶の湯もほとんどの人にとってはもはやハレ。 自分にとっては茶の湯は日常。 でもお茶をいた...

千 宗屋(お茶の方) ハレとケは対概念ではなぬ、各々がそれぞれの性格を複合的に内包している。日常で客を迎える、食事の際は家族一同で威儀を正して食をとるなど。ハレの時と場が存在していたはず。 茶の湯もほとんどの人にとってはもはやハレ。 自分にとっては茶の湯は日常。 でもお茶をいただく時間は背筋を伸ばしお気に入りの茶碗を選び抹茶を漉しお湯を沸かし茶碗を温めお菓子を選び、と特別な時間になる。つまり日常の中の非日常。ケの中のハレ。 新しい茶筅をおろす、新しい茶をあける、ときは晴れがましさと一寸の後ろめたさにいいようのない格別さがある。 --- ハレというのは気が引き締まることで、人間には時々そういうタイミングが必要なのかもしれない。 式典でもいいし大事な会議でもいい、初挑戦する体験でもいいし新しく買ったものを卸すことでも。 日常の中に、ケの中にも、そういったハレの日を作ると人は健康になるんだろうか。 心地よい緊張感を伴って自分の意識を集中させる時間、そういう時間を忘れないようにすると、うまくサイクルが回っていきそうな気がする。 --- 佐藤卓 グラフィックデザイナー 橋本麻里 編集者 佐藤)左右対称は人間で言うと身体の線対称で左右に腕があって、足があって、一対の目があって、ということ。植物や動物、昆虫もおおむね同様。 橋本)生命がこの地球という環境に適応しながら進化する過程で必然的に備えるようになった性質なのだろう。だから対称の形は、生き物として健全であることを示す基準となり、異性を誘うことや同性との競争にも有利に働いた。そしてもっとも原初的な美の条件として、人類が認識するようになったのでは。その後でそれこそ織部の沓形茶碗のような非対称の造形に一歩進んだより高度な美を感じるようになったのでは 佐藤)非対称の象徴は渦や螺旋がそう。水が穴に吸い込まれる時、髪の毛、植物や貝でも渦を巻きながら成長するものもあり、銀河も。つまり渦は左右対称を壊す形で。 橋本)陰陽のように非対称のもの同士が補い合ってより完全な美を実現する。 佐藤)そう考えると生命の中に元からインストールされている美の基本要素が何種類あるのか気になる。日本は左右非対称の美に恵まれていたのでは? 橋本)例えば中国は広大な地域の言葉も文化も異なる民族の統治が必要なので、巨大な共同体で美の価値観を共有するためには完璧な左右対称で歪みがないとか、誰が見てもわかりやすく「すごい」ものがいい。一方で京都みたいな狭い地域での同質性の高い集団では「これ見よがしではない形で凝らした技術」とか「パッと見素朴だけど実はレアな素材」みたいなものをわかる人はわかるという方向でありがたがる。 文芸でも雨夜に月を恋う、散ってしまった桜に満開の過去を思うとか不完全なリアルを人間の感覚や思考によって補いながら鑑賞する方により高度な美意識があるとする感覚が中世には育っていた。 佐藤)左右対称が生理的に気持ちいいのはもうわかっているし分かりきっていることをやるのは野暮。魅力的な作品はちょっと外す方が粋だという価値観が多い。大量生産は左右対称の形が多い。 橋本)それは認知コストを下げるため?大量生産・大量消費の商品は「いいものだ」ということをなるべく大勢の人が瞬時に判断でき、結果として手に取ってもらう必要がある。 佐藤)そう。確率をあげなきゃ。 --- --- 佐藤) 偏ってたって面白ければいいけど、それだけを一生やっていく覚悟が要る。後で他のことがやりたくなった時いつのまにかできなくなっているから。どこへでも自由に行ける状態をキープしておきたいなら、やはり中庸という感覚を持っておいた方がいい。やりたいことをやっているのが自由だと若い頃は思うけど、知らず知らずのうちにものすごく不自由になっていることもある? デッサンはインプットしてアウトプットするの繰り返し。精神的なものがどうしても出る。慣れてくるにつれてコツが分かりよく見ないで描くようになる。小手先になる。だから「俺はちゃんと見てないぞ」ということに自覚的でいなければならない。 デッサンは自分の中身が外に出る。体調の良し悪し、悩み、どれだけ律していても。人にもバレるから身体検査を受けているようなところがある。 --- 引っ掛かりがない、意識が向かない滑らかなのがケ。心地よいことを意識されてすらいない。 失ってから気づくみたいなことはケを失った時にみんな思うんだろう。 ハレは失った時にぽっかりと穴が空くような喪失感はあまりなさそうな気がする。終わった安心感ほっとする気持ち、達成感とかかな。 ケは馴染んでいてハレは目立つ。

Posted by ブクログ

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