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言語変化という問題
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言語変化という問題
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商品レビュー
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邦訳タイトルから言って、長い年月によって言語の使用法や綴り・発声等が変化していくということについての、言語学的な専門的な書物かと思っていたが、読んでみると様子が違った。 著者コセリウも本書は「『言語変化』について解説するのではなく、『言語変化という問題』について追究する」のだと宣言している。 ソシュールの言語学は、言語学の歴史学的な記述の部分をとりあえず削ぎ落とした上で、共時態における言語(ラング)-パロールの関係性の構造を探索した。そこではもっぱら、ラングは不変の実体であるかのように語られており、そうした分析がローマン・ヤコブソンを経由してレヴィ=ストロースに到達し、「構造主義」が誕生したことは間違いない。 コセリウはここで、その「ラング」なる「実体」の虚像を暴き、それがパロールの外には存在せず、個々人のパロールそのものにある、と反論する。 この部分の論述はめざましく、確かにそうだと思わせる迫力があって、大変感銘を受けた。 個人のパロールはしばしば創造行為であり、これまで語られなかった新しいものをも語ろうとする。そこで新たな意味やニュアンス、あるいは新たな語形などが生まれてくる。 誕生した新たな語法は。知的に判定されて「採用」の有無が決定される。 パロール(それは個人と他者、個人と社会の「あいだ」にあるものだ)の総体をラングとするならば、ラングとは、常に変化し続けるものに他ならない。 こうした解釈は、読んでいるとシステム論に結びつけられそうな気がしたが、コセリウ自身にはそういうつもりは全く無いようだ。 著者の論述は極めて論理的で鋭く筋が通っており、深い思索のあとが窺える。 じっさいの言語変化について具体的に、専門的に記述されているのは2,3章に過ぎず、ほとんどは上記のような言語「哲学」的考察にあてられている。そして、本書は、哲学書としても素晴らしい本だと思う。 本書で説かれた「パロール」の様態に関しては、個人的に大いに示唆される部分があった。 このタイトルからは想像もつかないような、哲学的に重要な書物である。
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