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遊動論
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遊動論 柳田国男と山人 (文春新書) (和書)2014年02月13日 22:52 柄谷 行人 文藝春秋 2014年1月20日 「思考実験=抽象化」ということと遊動性。 抑圧されたものは強迫的に回帰する。 柄谷さんの言いたいことを理解しようとそれぞれ考え思考実験(抽象化)し...
遊動論 柳田国男と山人 (文春新書) (和書)2014年02月13日 22:52 柄谷 行人 文藝春秋 2014年1月20日 「思考実験=抽象化」ということと遊動性。 抑圧されたものは強迫的に回帰する。 柄谷さんの言いたいことを理解しようとそれぞれ考え思考実験(抽象化)してきた人たちにとっては柄谷さんがかなりわかり易い言葉と柳田国男という日本人にとってかなり具体的な例より解説されている。 今まで自分の中で疑問になっていた部分が氷解されています。 柄谷さんは人間が思考実験と遊動性をどのように実践していけばいいのか?抑圧された自然状態(遊動性)が強迫的に回帰するということが思考実験とどのように関係すればいいのか?を示している様に思う。 人間を弱者として体系化するのではなく弱者から格差の解消を目指すということ、それは人間の関係にある格差を止揚することを目指す姿勢であるのだろうと思う。それが思考実験としてありえるがスティグマされ不可触民のようにされているものであるが実践として非常に有効なものであると感じた。そういったものが強迫的に回帰するというのは僕のような人間にとって非常にオプティミスティックに感じるところである。 「小さきもの」の思想 (文春学藝ライブラリー)も楽しみにしています。
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(01) 柳田国男が用いた「実験」あるいは「実験の史学」をヒントに,1960年代以降,た評価が左右に揺らいでいる柳田の立場を擁護し,柳田テキストの新たな読みに挑んでいる. 柳田が一貫して「山人」の実在を手放さなかったこと,それが「一国民俗学」や「固有信仰」となって,当時の国際情況...
(01) 柳田国男が用いた「実験」あるいは「実験の史学」をヒントに,1960年代以降,た評価が左右に揺らいでいる柳田の立場を擁護し,柳田テキストの新たな読みに挑んでいる. 柳田が一貫して「山人」の実在を手放さなかったこと,それが「一国民俗学」や「固有信仰」となって,当時の国際情況が国内事情(*02)に合わせ批評的に持ち出された概念であることが本書で主張されている. 民俗学や一国民俗学については誤解されることも多い柳田であるが,農政学や経済「経世済民」との関係により,柳田がその学をどのあたりに位置づけしようとしていたのかが分かる.著者は,柳田が「先祖の話」で説いた魂のゆくえの先を見極め,海と山の同位性や,平田国学や国家神道への批判性にも言及している. タイトルにある「遊動」とは何か.柳田自身が使ったわけではないキーワードであるが,現代哲学のノマドや網野史学の成果も踏まえ,柳田のテキストにあった遊動の解明を試みている.しかし,著者が提唱する遊動や交換様式にもいくつかの内実や分類があって,この試論は批判的に継承されていく必要があるだろう. (02) 家の延長に国家があるわけでないこと,オヤコ関係が遊動の双系制にあっては血縁関係に結ばれた親子に限らないことなども本書に指摘されている.おそらくそれは未来の社会に向けた著者の意見でもあるだろう.
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柄谷行人は『世界史の構造』を書くにあたって、色々と調べ上げたということだが、柳田国男の遊動論もその中のひとつであったという。それでも、なぜ、今となって柳田国男なのか。 その答えは、彼の交換様式論にとって、柳田国男の遊動民(ノマド)の理論が重要な位置づけを占めていたからであった。...
柄谷行人は『世界史の構造』を書くにあたって、色々と調べ上げたということだが、柳田国男の遊動論もその中のひとつであったという。それでも、なぜ、今となって柳田国男なのか。 その答えは、彼の交換様式論にとって、柳田国男の遊動民(ノマド)の理論が重要な位置づけを占めていたからであった。二種類の遊動民(その一つが有名な山人)をあり、それが理解の鍵でもあるとする。遊動民と交換様式論の関係について引用すると次の通りである。 「各種のノマド(遊動民)が、交換様式C(商品交換)の発展を担ったのある」そして、「遊牧民は、交換様式Cとともに、交換様式Bの発展を担ったということができる」 さらに「定住以前の遊動性を高次元で回復するもの、したがって、国家と資本を超えるものを、私は交換様式Dと呼ぶ」 そう、『世界史の構造』における交換様式Dが、遊動性に関係しているのだ。 「交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる」 だが、その後の議論は具体的には進まない。 「彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものである。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、交換様式Dである」 と相変わらずの我田引水っぷりで本文を終える。 柳田国男を読んだことがなかったこともあり、ちょっとわからなかったな。
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