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経済学は人びとを幸福にできるか

宇沢弘文【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 東洋経済新報社
発売年月日 2013/10/26
JAN 9784492314425

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商品レビュー

3.8

22件のお客様レビュー

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2024/03/30

宇沢弘文の正義感に惹かれる。市場原理主義を厳しく批判。ミルトン・フリードマンを憎んでいるような発言も同根。制御しない資本主義は強欲を暴走させ、しかも力を与えてしまうから、社会的に制限をかけないといけない。社会的共通資本は、市場原理主義では守れないのだ。 本書は宇沢弘文の思想や日...

宇沢弘文の正義感に惹かれる。市場原理主義を厳しく批判。ミルトン・フリードマンを憎んでいるような発言も同根。制御しない資本主義は強欲を暴走させ、しかも力を与えてしまうから、社会的に制限をかけないといけない。社会的共通資本は、市場原理主義では守れないのだ。 本書は宇沢弘文の思想や日常に触れるエッセイや対話文の寄せ集めなので、どこかで読んだ内容も多い。それでも理解が深まるので、私には嬉しい。 ー 1945年夏、フリードリヒ・ハイエクとフランク・ナイトがスイスの避暑地モンペルランで会話。ナチズムによって、人間の存在基盤自体が破壊され、人間の自由や人間の存在を回復するために、経済学者として考えなければならない。独裁的な規制を否定し、自由な人間らしい生き方ができるような経済的基盤を考えていく必要がある。そのために運動を起こそうと。ネオリベラリズムはそこから始まった。フランクナイトは、長崎に原子爆弾を落とした事は、人類の犯した最悪の罪であると糾弾し、競争と倫理について深く考えを進めた。素晴らしい経済学者。しかしその後フリードマンが中心になり儲けをひたすら求めた。フランク・ナイト先生は、ミルトンフリードマン、ジョージスティグラーの2人を破門した。 ー 1805年に有名なトラファルガーの海戦があって、スペインとフランスの連合艦隊がネルソン提督率いる英国艦隊に敗北。その後1815年ワーテルローの戦いによりナポレオンが連合軍に乾杯。パックスブリタニカの出発点はここ。バックスブリタニカの崩壊の始まりは、世界大恐慌で、日本では昭和大恐慌と呼ばれている。192 9年のニューヨーク株式市場の大暴落に始まった大恐慌だ。この時2人の経済学者、ケインズとベバレッジがパックスブリタニカの崩壊を防ごうとした。 ー ケインズは一般理論にて。 資本主義制度における資源配分は必ずしも効率的ではなく、またそのときの所得分配は公正なものではない。経済循環のメカニズムもまた安定的ではない。資本主義が安定的に調和のとれた形で運営されるために、政府がさまざまな形で経済の分野に関与しなければならない。 政府の関与が無ければ、巨大な資本を操る成功者が最低賃金で大衆を奴隷化し、継続的に搾取する事が可能になる。生活インフラを買い占めれば、資本家の独裁が誕生だ。民主主義がブレーキの機能を発揮しなければ、資本主義の暴走が剥き出しになる。市場原理主義一辺倒が正しい筈がない。

Posted by ブクログ

2021/09/18

宇沢は、モンペルラン・ソサエティに淵源する正統ネオリベラリズムの潮流(ハイエクやナイト)とフリードマンの市場原理主義を峻別して、前者には一定の重要性を認めた上で、後者を厳しく批判している。宇沢によれば、フリードマンは経済学について、マクロな側面についてはいっさい論文を書いていない...

宇沢は、モンペルラン・ソサエティに淵源する正統ネオリベラリズムの潮流(ハイエクやナイト)とフリードマンの市場原理主義を峻別して、前者には一定の重要性を認めた上で、後者を厳しく批判している。宇沢によれば、フリードマンは経済学について、マクロな側面についてはいっさい論文を書いていないし、ミクロな側面についても一貫した理論を持たなかったらしい。じっさい論文審査にあたり「どんなに前提条件がおかしくとも貨幣数量説が結論として出てくるならばそれは良い論文である」などと放言していたそうである(本当に学者なのか?)。 「共産主義者など一人でも多すぎる」などと吠え、“自由”を守るためなら北ベトナムへの水爆投下もやむなしとするほどの狂犬は、同じ自由主義者ながらあくまでも人道を重んずるナイトによりスティグラーとともに事実上の破門宣告を受け、ゴールドウォーターにさえ“too extreme”と評された。フリードマンの訃報に接したとき、宇沢は妻とともに喜んだそうだが、まあ無理からぬことかと。 経済学の話よりも日本の教育批判の方が面白い。日本の学歴ヒエラルキーの頂点は医学部と法学部であるが、欧米の一流大学は自然科学、人文科学、哲学、古典のような“虚学”が中心であり、工学部、医学部、法学部、経済学部などはスクールと呼ばれ、専門大学院のような扱いである。1960年代、丸山眞男は、本郷の学部を専門学校化し、駒場を東京大学とする東大改造案を構想していたが結局頓挫、その後東大を去った。 本書第10章で宇沢は、学部における少人数制の演習が大量生産方式の教育に慣れきった学生たちに与える影響の大きさを強調している。いまCOVID-19の蔓延により日本の政治家、官僚、医師の愚劣さ加減が炙り出されており、タイムリーなことであるが、日本における偏差値エリート(実務家)の腐敗、リベラルの弱さは畢竟、「リベラル」・アーツ軽視に相当の原因が帰されるのではないかと私はけっこう本気で思っている。

Posted by ブクログ

2021/02/09

経済学が科学にシフトした分、「人々の幸せ」から遠くなっているのではという、基本的問題意識は共感できるとともに、非科学ではないかという恐れもある。 我々は「アカデミズム」という現代宗教の門徒であって、破門される恐怖があるのは中世と変わらない。 その呪縛を否定したのが宇沢先生、特に、...

経済学が科学にシフトした分、「人々の幸せ」から遠くなっているのではという、基本的問題意識は共感できるとともに、非科学ではないかという恐れもある。 我々は「アカデミズム」という現代宗教の門徒であって、破門される恐怖があるのは中世と変わらない。 その呪縛を否定したのが宇沢先生、特に、公害・自動車問題など外部不経済について厳しい論調に転じられたような気がする。 本書でもそのスタンスは揺るがないとともに、世界史では英国帝国主義、国内では官僚権力体制に対する姿勢は驚くほど厳しい。 現在のアベノミクスや、原発問題など、宇沢先生のコメントがほしいと思うのは、甘えだろうか。 本年、ご逝去のご冥福を祈ります。

Posted by ブクログ

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