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第三の新人名作選 講談社文芸文庫

講談社文芸文庫【編】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2011/08/12
JAN 9784062901314

第三の新人名作選

¥605

商品レビュー

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2013/06/19

▼阿川弘之「年年歳歳」(1950) まさに敗戦直後といった物語の情景に、もう文学的にどうとか考えることも出来ないまま吸い込まれてしまって、くるしい。夏が近づくにつれ、昭和文学を読まなければ、という焦燥感を感じる。 ▼遠藤周作「アデンまで」(1954) おそらく高校一年生の...

▼阿川弘之「年年歳歳」(1950) まさに敗戦直後といった物語の情景に、もう文学的にどうとか考えることも出来ないまま吸い込まれてしまって、くるしい。夏が近づくにつれ、昭和文学を読まなければ、という焦燥感を感じる。 ▼遠藤周作「アデンまで」(1954) おそらく高校一年生のころに読んだことがあるのだけど、ほとんど何も覚えていなかったので初読のつもりで読みました。こわすぎてびっくりしたし、これをすっかり忘れてしまえた高校生のころの自分にもびっくりしたし、アンソロジーの中でも異彩を放つ力強い文学性と描かれている人種差別の苦しみに圧倒された。大城立裕を読んだ時も感じたことですが、戦争が終わって平和が訪れてみんな平等ということになって、それでも消え難い苦しみや傷を負っていて、必死に取り繕われたものがふとした瞬間に崩れさってしまう緊張と絶望のなかにある戦後の姿を小説を通して見ることは大きな価値がある。こわいけど。 ▼小沼丹「白孔雀のいるホテル」(1955) 冴えないホテルとそこに訪れる人びととの一時的な交流。ちょっと離れたところから見るともう滑稽で、くだらないようなことばかりなんだけれど、当事者はみんなで必死に夢を見ようとしていて、主人公は最初そこから距離を置いているんだけど、最後はその夢に参加しようとする、そんな話に思えた。がらくたのような夢が、それでもある人びとにとっては紛れも無い理想であることの滑稽さと切実さを見事に描いている。こういう文学は戦後が生んだんだろうと思うけれど、その切実さは現代でも十分に胸を打つものではないか。 ▼近藤啓太郎「海人舟」(1956) 前近代的な村社会とか家族制の呪縛とかがどうやって個人の欲望を歪めるか、幸福を奪うのか、ってことが描かれているように思えて、とても怖いなあと思った。勇もナギも、個人の望みをしがらみで抑圧して、主体的に耐えようとするとふっと解放されたりして、もうどんな望みを追い求めているのか、何が幸福なのか、そういったことがわからなくなってしまっている。ナギは地に足をつけ、勇は現実から逃げ惑う、というその書き分けは性差から来たものなんだろう。時代性と作者のジェンダー観。現代が負うものとはまた違った困難さではありますが、なんかもうこういうの読むと、人間が集団として生きる以上、人と人がどのように繋がるかということは問題ではなく、集団になったことそれ自体が苦しみを生むのかなあと思えてしまって、ほんとう絶望する。 ▼小島信夫「アメリカン・スクール」(1954) 自虐やばい。笑えない。敗戦という事実とその状況をどう捉えるかについて。それはみじめで、哀しく恥ずかしく、でもふと笑い飛ばしてしまいたくなるようなばかばかしさと、やけを起こしたような滑稽さと、色んなものがぐちゃぐちゃになっている感じ。平成生まれのわたしはここまでひねくれた感情に共感することは出来ないんだけど、今までわたしが読んだことのある日本(文化、思想など)論が執拗に敗戦にこだわっていたのもさもありなん、という気分。肌で感じていないぶん、なかなか難しいものがありますが、今後も昭和文学にきちんと触れ続けることで戦後日本の精神史を自分なりに理解していきたい。 ▼島尾敏雄「湾内の入江で」(1982) 島尾敏雄は第二次戦後派なのか第三の新人なのか、微妙なところですがまあそんな括りはどうでもよくて。戦争体験、それも人間魚雷として特攻隊に志願する、学徒のお話。もう、どうしようもない気持ちになった。主人公の考えていることは、非常に学生らしい浅薄さや幼さがあって、迷いでいっぱいで、戦を厭いつつも軍人的かっこよさに憧れたり、そのくせ戦争以前の日常を彷彿とさせるものに出会うと言いようの無い悲哀を感じたりする。本当に普通の人。主人公のあまりの平凡さに、集団というのはやっぱり名も無き個人の集合であって、戦争は個人を搦め捕ってしまうシステムで、それに巻き込まれて死んでしまったであろう多くの普通の人達、を思うと、なんにも言えない。そして文学は名も無き個人をすくいとる試みなのだと。 ▼庄野潤三「プールサイド小景」(1955) 日常の脆弱性を明らかにする、というものですが、その脆弱性告発を越えて見えてくるものというのは、日常性では扱えないもので、だからこそその先が見たかった。 ▼三浦朱門「冥府山水図」 芸術のかなしみと、俗世のかなしみ。皮肉がやばい。こうして俗性を告発することで、なにになるんだろう、このひとはなにがしたいんだろう。

Posted by ブクログ

2011/10/27

東日本大震災のあとのせいか、原爆投下後のヒロシマに復員兵が帰って来て、奇跡的に両親に会えた阿川弘之の年年歳歳が一番印象に残りました。

Posted by ブクログ

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