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ドビュッシー 生と死の音楽

ヴラディミールジャンケレヴィッチ(著者), 船山隆(訳者), 松橋麻利(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社/
発売年月日 1999/10/05
JAN 9784791757398

ドビュッシー

¥2,090

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2011/04/12

フランスの哲学者ウラディミール・ジャンケレヴィッチ(1903-1985)によるドビュッシー論。哲学者の音楽論というと、アドルノの『マーラー』『音楽社会学序説』なんかが真っ先に思い浮かび、あの断固とした批判精神で、まるで恫喝されているような迫力に圧倒されてしまう感じであるが、このジ...

フランスの哲学者ウラディミール・ジャンケレヴィッチ(1903-1985)によるドビュッシー論。哲学者の音楽論というと、アドルノの『マーラー』『音楽社会学序説』なんかが真っ先に思い浮かび、あの断固とした批判精神で、まるで恫喝されているような迫力に圧倒されてしまう感じであるが、このジャンケレヴィッチの音楽論は、対象がドビュッシーだからなのか、それとも著者の気質がそうだからなのか、サワサワした音楽が心地よい距離感を保ちながら響いてくるかのような、実に流麗なエッセイになっている。詩的で匂立つ文章がたまらない。 ”海底の深さが、いかなるエネルギーもゼロになる<絶対下>であるのなら、海そのものは、何よりもまず廃墟の場、もしくはミシュレの言うように、解体を企てる場であろう。げんにドビュッシーの音楽がとりわけ暗示していることは、物質の風化と崩壊であるのだから…… ──p.29 ” しかしこの本は、ドビュッシーの音楽について、ただ美辞麗句を並べ解説しているわけではない。アドルノとはやり方、書き方こそは違うが、やはりそこには何らかの哲学的思考が──ドビュッシーという音楽家とその音楽を介在し──根底に流れている。 例えばジャンケレヴィッチは「正午の点」について、絶頂と同時に衰退の始まりであるという「両義性」を打ち出し、「同一の頂点が上昇の終着にも、また失墜の開始にもなる」と記している。ここからドビュッシーの音楽に内在する志向──つまり生と死──を炙り出し、単なる楽譜の分析では思いもよらぬ解釈の地平を提示する。とくに「ほとんど無なるもの」という言葉で展開される存在/非在についての部分は、この本の白眉であろう。 ”しかし存在がなくなったわけではない! 存在が、ほとんどないほどに稀薄になったとしても、最小の存在であったとしても、それはやはり存在している。ちょうど非在にならないために必要な分だけ。(中略)ドビュッシーは、非在へ変わる危険な瀬戸際で存在を引き止めている……。 ──p.160 ” そしてアイロニカルな、まるで魔術のような逆説。解説にもあるように、ジャンケレヴィッチの逆説は、逆説どうしがお互いを否定しあわず、ほんの一瞬の視点の転換によって、対立する両極端が渾然一体となってしまう。「裏は表であり、虚は実である」 ”重要なのはドビュッシーが連続か不連続かの二者択一を超越しているということだ。連続する生成が前進できるのも、それを動かす不連続の瞬間のおかげである。 ──p.152 ”

Posted by ブクログ

2008/04/22

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