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演劇のエクリチュール
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演劇のエクリチュール
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
演劇のエクリチュールという書名でありますが、こと演劇に関しては、古典にも、ブレヒトなどの現代の戯曲作家・演出家にも疎いため、ここでは、カミュとの書簡のやりとりと「私はマルクス主義であるか」について。 まず、カミュとの書簡のやりとりはバルトがペストの批評をするカタチで口火が切られ...
演劇のエクリチュールという書名でありますが、こと演劇に関しては、古典にも、ブレヒトなどの現代の戯曲作家・演出家にも疎いため、ここでは、カミュとの書簡のやりとりと「私はマルクス主義であるか」について。 まず、カミュとの書簡のやりとりはバルトがペストの批評をするカタチで口火が切られますが、勝ち負けを別にして、二人の色の違いが良く出ているとお思います。年代記と読んでいながら、第二次大戦をペストというマスクを被せて普遍化の工作を行ったのが気にくわないというの主張でをします。対するカミュはやっぱり小説家でありひとつの恐怖政治を名指さぬことによる普遍化は意図的であるばかりか、返す刀で、それこそがこれからのいかなる恐怖政治をも叩かんとする意思表示だと明言します。 これは普段二人が、どれだけの人々(インテリか大衆かそれとも両方か)に向けて語っているかという違いが反映されたものだと思われる。 新NRF誌の編集長とおぼしき人物がバルトはマルクス主義者かどうかを言明しろ要求したのに対し、バルトは、「この手の問題に興味を持つのはマッカーシーはの反共主義者のみである。」として、四の五の言わず作品を読んで判断しろと言い、さらに、「マルクス主義は宗教ではなく説明のそしてまた行動の方法であることに、またこの方法はその方法を実践していると主張する多くの人間を必要とすることに、したがって、マルクス主義者を名乗るためには、愚直さよりもうぬぼれが必要であることに」と続ける。 そして本書の最も印象的な行は(それが水嶋ヒロ氏の文学賞受賞の話題と重なったからかもしれないが)「文学に関しては、アンケートよりも読書のほうがより客観的な(評価・判断の)方法である」。 賞が妥当か、仕組まれたか、自身が応募者でなければ四の五の言う必要はない。立ち読みでもすれば、わかるということである。もちろん、読んだ上で、ぐぅの音も出ない作品であるのか、賞が妥当なものであるか、出版社との共謀で仕組まれた大がかり(ではあるが大して金のかからない)な宣伝としか考えられないような駄作かそういう判断を自分で下す基準を持っていなければ、やはり、答えのない疑問であったとあきらめるしかない。 そもそも、文学賞は、文学にとって毒にも薬にもなる。権威(出版社)が良いものを選ぶというよりは「決める」という図式が固定化しエクリチュールの階層化が進めば毒といえるし、エクリチュールの階層を突き破る起爆剤となれば薬と言える。残念ながら毒になることが多いのは、選考委員が自分達の立場や功績をひっくり返すようなものはなかなか選ばないということと、そもそも文学賞は出版社が宣伝としてやっているもので売るための手段になるからである。つまり、宣伝効果が一番上がるものを選びがちになるのである。しかし、宣伝効果が上げられる人が書いたものが必ずしも悪い作品であるとは限らない(ちなみに宣伝は成功している、なんにせよ、水島と言う子を知らない私のような人が、友達に聞かれたばっかりにこんなところで取り上げるのだから)。やはり、自分で読んでみないことにはわからないものである。
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2009/ 2009/ 「民衆演劇の希望」「なぜブレヒトか?」をはじめとする重要な演劇批評、さらに論争の発端となるカミュ「ペスト論」など、緊張と期待にみちた時代の批評集。
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