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国文学の時空
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国文学の時空
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久松さんの本を読んでいて常々感じていた古典文学に対する概念の当てはめに意味があるのか?という疑問が本書を読んでより大きく膨らんでいる。「もののあわれ」やら「ますらおぶり」やら久松さんの言う意味での「まこと」などという言葉は古典文学の解釈以外では使用されないわけで、文学の解釈にのみ...
久松さんの本を読んでいて常々感じていた古典文学に対する概念の当てはめに意味があるのか?という疑問が本書を読んでより大きく膨らんでいる。「もののあわれ」やら「ますらおぶり」やら久松さんの言う意味での「まこと」などという言葉は古典文学の解釈以外では使用されないわけで、文学の解釈にのみ使用される言葉で文学を説明する意味は何なのか。ディティールに拘らずに本質を捉えようとするといえば聞えはいいですが、結局都合よく抽出した概念を取りあげていたようにしか、今となっては見られない。そして取上げられたものが悉く戦争をするのに都合のいい概念だったことが、最大の問題である。 近代化が始まったのと同時に日本は戦争へと歩んでいたと思うので、当時の国文学者を一概に糾弾するつもりはない。古典から求められた「日本特有」の強さや美しさの概念は、西欧からの外圧で西洋化しなければならなかった日本人にとって非常に気持ちのいいものだったと思う。時代の要求だった、と言っても良かったかもしれない。(この議論自体が彼等の戦争への加担を証明してるようなものだけれども) ただ、戦後の彼等の対応は、卑怯だったのではないか?と本書を読んで改めて感じた。彼等が責任を逃れたことで、戦後の日本というのは更にややこしくなってしまったように思うのだ。戦中に政府が統制に使っていた思想には、国文学者の思想と研究がかなり反映されている。その彼等が戦後戦中の自身をしっかりと位置づける作業をせず、うやむやに逃げてしまったので、後世の日本は、結局何を本当に反省すべきだったのか、わからなかったのではないかと思うのである。
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