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ミラノ霧の風景
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ミラノ霧の風景
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商品レビュー
4
27件のお客様レビュー
須賀敦子さんの文章はゆったりした時の流れを感じさせてくれる。かつ登場人物の意思の強さが描かれ、その雰囲気がとても心地よい。この本も然り。 この本は、霧の向こうにいったかつての友人たちについてのエピソードを綴っている。ミラノ以外にもヴェネツィアやローマなども描かれており、感情移入...
須賀敦子さんの文章はゆったりした時の流れを感じさせてくれる。かつ登場人物の意思の強さが描かれ、その雰囲気がとても心地よい。この本も然り。 この本は、霧の向こうにいったかつての友人たちについてのエピソードを綴っている。ミラノ以外にもヴェネツィアやローマなども描かれており、感情移入しながら小旅行気分にもなれる。人間の理想を追う美しさと脆さ、現実に向き合い生きていく強かさと葛藤も感じることができた。鉄道員だった夫の父のエピソードは特に印象的。 ただ、霧の多くは故人でもある。須賀さんがイタリアを離れたのは1970年代。グローバリズムの並みはイタリア人の生活と社会を大きく変えてきた面もあるだろう。この本で描かれた美しいイタリア人の心と街並みの現在地を確かめてみたいとも感じた。
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米原真理の推薦本である。ミラノの塔が最初と最後に出てくる。ミラノだけではなく、ローマ、ヴェニス、などイタリアの多くを文学の人間関係だけでなく知り合いを通して説明している。1985年と40年以上前の出版であるが、イタリアという国を十分に説明している。観光のイメージばかりを考えている...
米原真理の推薦本である。ミラノの塔が最初と最後に出てくる。ミラノだけではなく、ローマ、ヴェニス、などイタリアの多くを文学の人間関係だけでなく知り合いを通して説明している。1985年と40年以上前の出版であるが、イタリアという国を十分に説明している。観光のイメージばかりを考えている観光局は猛省すべき本としてあげられる。 イタリアに行く前にこの本を読むべしであろう。
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人は回復期に何を読むのだろうか? ヴァランダーも脳裏に浮かんだが、今回は須賀敦子さんにした。 歳をとるほどに、街には悲しみが満ちて来る。 それは霧のようにたちこめ、ほかには何も見えなくなってしまう。/ 【ホームの待合室のようなところに、男の看護人に付添われて出てきたガッティ...
人は回復期に何を読むのだろうか? ヴァランダーも脳裏に浮かんだが、今回は須賀敦子さんにした。 歳をとるほどに、街には悲しみが満ちて来る。 それは霧のようにたちこめ、ほかには何も見えなくなってしまう。/ 【ホームの待合室のようなところに、男の看護人に付添われて出てきたガッティは、思いがけなくさっぱりとした顔をしていた。年齢を跳びこえてしまった、それは不思議なあかるさに満ちた顔だった。私の知っていた、どこかおずおずとしたところのある、憂鬱な彼の表情はもうどこにもなかった。山ほど笑い話の蓄えをもっていて、みんなを楽しませてくれたガッティも、(略)その表情のどこにも読みとれなかった。私を案内してくれた友人が次々とポケットから出すキャンディーを、ガッティはひとつひとつ、(略)うれしそうにほうばり、なんの曇りもない、淡い灰色の目でじっと私を見つめた。(略)夫を亡くして現実を直視できなくなっていた私を、睡眠薬をのむよりは、喪失の時間を人間らしく誠実に悲しんで生きるべきだ、と私をきつくいましめたガッティは、もうそこにいなかった。彼のはてしないあかるさに、もはや私をいらいらさせないガッティに、私はうちのめされた。】(「ガッティの背中」)】/ 須賀さんがミラノを離れて帰国した訳が、何となく分かったような気がした。 この本を選んだのは、須賀さんの悲しみに惹かれたのかも知れない。/ ナタリア・ギンズブルグの『マンゾーニ家の人々』を翻訳中の話: 【多くの人物や事件が、この波瀾に富んだ物語を織りなす中で、私がとくに不思議な親近感と感動を覚えて読んだのが、文豪マンゾーニの次男のエンリコという人物だった。幼くして母親をうしない、寄宿学校に送られ、やっと卒業して家に帰ると、父親にはあたらしい妻がいる。わがままな継母から彼をまもってくれるはずの祖母は、年老いて往時の権力を全面的に失っている。そんな薄幸の少年時代にもかかわらず、やがて彼は富裕な家のやさしい娘を妻として、彼女の持参金であるブリアンツァの領地にある宏壮な邸に暮らすことになる。 ー中略ー しかし、エンリコとその美しい妻には、決定的なひとつの短所があった。どちらも現実に対処するすべを、まったく欠いていたのである。】(「さくらんぼと運河とブリアンツァ」)/ 馬鹿息子の登場である。これは、会員の端くれとしては必ずや読まねばなるまい。 【どうしたのだろう、と私は動揺した。もしかしたら、大聖堂ではなくて、他の教会だったのだろうか。どこかで記憶がずれてしまったのだろうか。それともアントニオが間違っていたのだろうか。 ー中略ー いや、と私は考えた。これでいいのだ。私にとってのルッカの大聖堂は、やはりあの朝、アントニオとバスの窓から見た、霧の中にまぼろしのように現われたロマネスクのファサードでいい。あれが、アントニオと私のルッカだ、と。 「ルッカだ、大聖堂だよ」という、かすれ声でささやかれた言葉と、霧の中に忽然と現われたロマネスクの白いファサード、そして柩のうえにおかれたエニシダの花束を思い出に残して、アントニオは、物語がおわると消えてしまう映画の人物のように、遠い国の遠い時間の人になってしまった。】(「アントニオの大聖堂」)/ 須賀さんを読んでいると、僕の霧の中にも、懐かしい人の忘れ難い姿が立ち現れて来る。
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