1,800円以上の注文で送料無料

  • 中古
  • 書籍
  • 文庫

日本精神史研究 岩波文庫

和辻哲郎【著】

お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する に追加 に追加する

定価 ¥1,122

¥385 定価より737円(65%)おトク

獲得ポイント3P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/
発売年月日 1992/11/18
JAN 9784003314470

日本精神史研究

¥385

商品レビュー

3.5

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2021/07/15

古美術の力を享受して、心を洗い、心を富ませる。▼西洋の風呂は事務的、日本の風呂は享楽的。和辻哲郎『古寺巡礼』1919 大宝令(飛鳥時代)。富の分配の公平、社会主義的な理想を目指した。▼聖徳太子の三経義疏さんぎょうぎしょ。大乗仏教の深い哲理。▼当時、仏教とは現世利益、老病死の悲哀...

古美術の力を享受して、心を洗い、心を富ませる。▼西洋の風呂は事務的、日本の風呂は享楽的。和辻哲郎『古寺巡礼』1919 大宝令(飛鳥時代)。富の分配の公平、社会主義的な理想を目指した。▼聖徳太子の三経義疏さんぎょうぎしょ。大乗仏教の深い哲理。▼当時、仏教とは現世利益、老病死の悲哀を慰めてくれるもの。仏像・仏教建築は悲哀を慰めてくれる仏への憧憬を投影したもの。▼美術の様式と思想・宗教は関係しており、両者の根底には時代精神がある。和辻哲郎『日本精神史』1926 「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くこと。観ることは直ちに創造に連なる。純粋に観る立場に立て。▼我々は花を散らす風において歓びあるいは傷むところの我々自身を見いだすごとく、ひでりのころに樹木を直射する日光において心萎える我々自身を了解する。我々は「風土」において我々自身を、間柄としての我々自身を見いだす。和辻哲郎『風土』1929 能面。一定の表情の類型化。不必要なものが全て抜き去られている。筋肉の生動が注意深く洗い去られている。しかし、生きた人間が顔につけて動作すると、豊富きわまりない表情を示し始める。手が涙を拭うように動けば、能面はすでに泣いている。面が肢体(したい)を獲得したのだ。和辻哲郎『面とペルソナ』1935

Posted by ブクログ

2013/03/25

和辻哲郎最初の論文集の改訂版(1940)である。初出はいずれも1920年代。 日本精神史を知るというよりは、これが書かれた戦前の知識人の精神構造を知るに適した一冊ではないだろうか。加藤周一や内田義彦はこれを先駆的な手法と切り口で研究された社会科学的作品として高く評価しているようだ...

和辻哲郎最初の論文集の改訂版(1940)である。初出はいずれも1920年代。 日本精神史を知るというよりは、これが書かれた戦前の知識人の精神構造を知るに適した一冊ではないだろうか。加藤周一や内田義彦はこれを先駆的な手法と切り口で研究された社会科学的作品として高く評価しているようだが、それだけにはとどまるまい。むしろ、今日からみるとつまらぬところの多いこの論文集から、近代日本の基盤となった思想的エッセンスが多く抽出できるという点、ここに着目するべきであろうと思う。

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品