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自由意志対話 自由・責任・報い

ダニエル・C.デネット(著者), グレッグ・D.カルーゾー(著者), 木島泰三(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社
発売年月日 2022/12/23
JAN 9784791775255

自由意志対話

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商品レビュー

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2023/06/05
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以前読んで面白かった「自由意志の向こう側」の著者の訳ということで読んでみた。世界は因果的に全てが決定しており、人間が行為の責任を負えるような自由意志は存在しない、という立場のクルーゾーと、そのような決定論的世界でも人間には「自由意志」が存在するという立場のデネットの論戦が三部に分かれて展開されている。論を深めていくにあたってお互いの考えをはっきりさせていくという展開ではあるのだが、クルーゾーが歴史的な哲学的な議論の合意に沿って「それってあなたの否定する応報主義では?」「あなたの言う自由意志って、実際にはそんなものないけど『そうあるべき』だからあるとみなす」ってことでは?」みたいに責めるのを、「そんな定義には僕の意見はあてはまらない」と逃げることを繰り返して、同じような話を繰り返しながらかみ合わないままなのでなんだか歯がゆい。クルーゾーが「あなたの立場を聞くのは、まるでウナギと格闘しているようです」と言うけど、まさにそんな感じ。 デネットの言う「およそものを考えられる人々であれば、責任ある存在とみなされることこそが人生最大の祝福であると理解するはずだ」というのは直感とか理想論とか建前として非常に共感はできるのだが、こうして哲学的議論の場では弱い立場であることがわかってしまうのが悲しい。 ただ、デネットの提案する「道徳的行為クラブ」の会員たるための閾値という考え方には、人間って理解力はあってもそんなに合理的・理性的に行動する存在ではないだろうと思ったし、いかにも西洋の時代遅れな啓蒙主義的価値観を隠しもしないのが嫌。名誉殺人(これを擁護するわけではないが)するような遅れた文化は教育するか、受け入れないなら無視するみたいなことを平気で言うのでちょっと驚く。クルーゾーの「公衆衛生ー隔離モデル」も人間は理論で生きているわけじゃないから無理があると感じるし、3部の机上の空論感はすごい。ぜひ昔流行ったアメリカのコミューンみたいなのを作って実験してもらいたいなと思った。

Posted by ブクログ

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