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はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで

弓削尚子(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 山川出版社
発売年月日 2021/12/02
JAN 9784634640955

はじめての西洋ジェンダー史

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商品レビュー

4

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2024/03/03
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※このレビューにはネタバレを含みます

何かと聞くジャンダーという言葉。 今回は西洋ジェンダー史についてお勉強かねて読了。感想というより以下メモ 中世、貴族の結婚では家門の威信も名誉の保持が夫婦2人で共同で行うべきことであり、愛や誠実さは不要。宮廷においても夫婦別室で、ルイ14世のヴェルサイユ宮廷では、国王と王妃野住居は、庭園を挟んで向き合うように両翼に分かれていたり、愛妾(マントノン夫人)も部屋を与えられていたり、王の庶子たちの教育係として暮らしていたとか。一方で市民も独身が多く、結婚も労働上のパートナーという側面が強かったとか(女性も重要な労働力として扱われていた) 貴族の「堕落的で官能的な愛」「性的放埒な愛」に対して市民の夫婦は「自制的な徳のある愛」。近代化にあたり、資本主義が発達することで個人主義と自由が希求されることになったことにより、男女のロマンティックラブの成立、母性愛、家族愛が生まれたと述べられている。変化に伴い、乳母制度の終焉となり、母乳育児が始まる。 そして近代家族モデルにおける理想的な女性像も愛情に満ちた妻、優しい母、賢い主婦と三つ巴の役割を与えられる。一方で、抑圧を感じた女性たちの女性運動へと繋がる。近代社会で規範化された家族モデルにより、今、女性として社会的活動、妻としての役割が求められ、生きづらさを多少なりとも感じているが、この家族モデル自体が200年程度のもので歴史はどんどん作られる。そして、今を生きる私たちがより多様に作っていかなくてはならない、と感じた。 それにしてもディドロもルソーも呆れてしまう。しかし1番呆れるのは21世紀になっても同じように、女は男よりヒステリックだ、など、女は貞操を守れ、良妻賢母の教育だの変わらず言われてることだ。 ※ディドロの女性について われわれ(男性)は女性より理性に恵まれているが、女性は我々より本能に恵まれている。女性が教え込まれた唯一の事柄は、最初の祖先イブから受け継いだいちじくの葉をしっかり身につけることである。 ルソー『エミール』 女子教育は男性に服従する存在 男性の気に入り、役に立ち、男性から愛され、尊敬され、男性が幼いときは育て、大きくなれば世話を焼き、助言を与え、なぐさめ、生活を楽しく快いものにしてやる、こういうことが女性の義務であり、〜教育だ。 ** →女性をますます不自然で弱いものにするために、またその結果女性をますます社会の役に立てないものにするために貢献してきたのだ、と本書でも書いているが、本当にその通りだと思う。 *** カントも男性は崇高、理性。女性は美、感性。という概念で結びつけ、女性は男性に従う存在であるが、美や感性においては男性を凌ぐ存在としている。毅然として崇高なる男性と、彼に寄り添って生きる美しき女性という、男性への依存が前提。男性は逞しい松の木、女性は松のまわりに絡みつき、荒い皮を優しく飾る細く優美なブドウの木。などとの言い様。 男性は男性でジェンダーに捉われている。覇権的な男らしさ、従属的な男らしさ、男だからといってブラザーフットの中にあり、フラタニティーで結びついているわけではない。 メモ、詳しく学びたい↓ エリザベス一世 マリアテレジア エカチュリーナ二世 メアリ ウルストンクラフト オランプ ド グージュ ジョゼフィーヌ(ナポレオンの妻) ジャンヌダルク レグラ•エンゲル

Posted by ブクログ

2023/10/16

今から当たり前だと自分が思ってることも、100年後の人からしたら信じられないことだったりするのかなあと思った

Posted by ブクログ

2023/05/21

あらすじ(山川出版社より)著者が早稲田大学の教養科目としておこなう授業をもとに、家族史からグローバル・ヒストリーまでをあつかう入門書。 歴史における家族、女性性や男性性の変容、男女二元化のプロセス、身体的性差の認識の変化といったジェンダー・イシューに、歴史学がどのような問題意識を...

あらすじ(山川出版社より)著者が早稲田大学の教養科目としておこなう授業をもとに、家族史からグローバル・ヒストリーまでをあつかう入門書。 歴史における家族、女性性や男性性の変容、男女二元化のプロセス、身体的性差の認識の変化といったジェンダー・イシューに、歴史学がどのような問題意識をもってアプローチし解き明かしてきたかを、紐解いていく。(https://www.yamakawa.co.jp/product/64095) いかに歴史が男性の視点で語られてきたか、ジェンダーの視座を歴史学に取り入れることで見えてくるものがわかりやすくまとめられてた。 現在の常識だけを見るのではなく、歴史を振り返ることで、それがいかに変容し、恣意的に構築されてきたのかがわかる。身体という科学的に白黒はっきりついている(と思われる)ことでさえ、認識を改める必要があるように思わされる。 以下、引用。 教科書に掲載されている絵画も気になります。ナポレオンが皇帝の冠を戴くシーンを捉えたものではなく、皇后ジョゼフィーヌがナポレオンにより戴冠される様子を描いたものです。皇帝/夫/男性にひざまずく皇后/妻/女性の姿は、男女のあるべき関係性を伝えているようにも読み取れます。(p.60) →高校の世界史教科書?資料集に載っていたイラスト。こんなふうに批判的に見れていなかった。今の教科書も同じなのだろうか。 スピヴァクは、サバルタンは自分の言葉で語れない、語ったとしても彼らの言葉は「翻訳」を必要とし、その結果、他者による解釈と言葉で覆い消されてしまうと論じました。「他者」とは、植民地宗主国の知識人、すなわち西洋知識人(男性)であり、また西洋に対抗して民族主義運動を説く被植民者側の知識人(男性)でもありました。(p.257) →スピヴァクの本、読まなきゃと思いながら読めてないな… 多くの北米先住民は、女性を大地の母として、豊穣のイメージと結びつけていました。文化人類学者の阿部珠理の言葉を借りると、「この発想は、人類の始祖を男とするキリスト教世界の創世神話とも好対照をなすし、女性が人類の原罪と結びつけられるような部族神話は、北米先住民世界にはまず存在しない」(阿部「北米先住民・セックス/ジェンダー/第三の性」一八九項)のです。(p.282) ローイにとってサティの廃絶は、インド社会の「近代化」を意味しましたが、それは、サティを「野蛮な風習」とするイギリスの価値規範に迎合するのではなく、むしろヒンドゥー教の聖典に立ち返る行為でした。(p.290) →大事な視点。支配者側の視点だけで解釈するとその文化や人々が他者化されてしまうよね。。 ジェンダー史について学び、考えることの醍醐味は、「自分事」として歴史を身近に感じ、ジェンダーの歴史的構築性に敏感な思考力を養うことだと思います。 「家族」のあり方やパートナーとの関係、身体とセクシュアリティといった現代社会のさまざまな「常識」は、人びとが思っている以上に歴史は浅く、そこには「支配する側」の思惑が絡んでいます。異性愛主義に基づく男女の二元化されたジェンダー規範を、「創られた伝統」と捉え、批判的思想を重ねることで、誰もが「自分らしい生き方」へと近づくことができたらと思います。(p.301) →ルイス・ミショーやマルコムXが言っていたように、テキストの裏側にある支配する側の思惑に敏感にならないといけない。

Posted by ブクログ

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