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如何様

高山羽根子(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 朝日新聞出版
発売年月日 2019/12/06
JAN 9784022516596

如何様

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商品レビュー

3.5

16件のお客様レビュー

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2023/04/04

戦時中の特殊部隊とか、どこかの国の駅伝?の指導者とか、どうも作者のフィクションっぽい。でも主人公の感覚は現代的で理解できる。 説明の足りないもどかしさ、ふわふわしてる感じが心地よい。

Posted by ブクログ

2022/12/07

表題作の「如何様」と「ラピード・レチェ」の二篇を収めた一冊。 どちらも最後はなんだか気分がすっとする、爽やかとまでは言い難いが、表現しがたい喘ぎを、のめり込みすぎて呼吸が止まっているような苦しさを和らげてくれるようなお話でした。 何にしても「如何様」というタイトルが秀逸。 様々...

表題作の「如何様」と「ラピード・レチェ」の二篇を収めた一冊。 どちらも最後はなんだか気分がすっとする、爽やかとまでは言い難いが、表現しがたい喘ぎを、のめり込みすぎて呼吸が止まっているような苦しさを和らげてくれるようなお話でした。 何にしても「如何様」というタイトルが秀逸。 様々な意図が込められているのはもちろん、この物語で言いたいことを全て表しているかのような、それでいて、さあ、でもこの出来事ってイカサマかしら、どうでしょう?と問いかけられているような。そんな題。 とても読みやすくて一気に読めてしまうのに、いい意味でどっしりとした読み応えだった。 以下ネタバレを含むので、気になる方はご注意を。 舞台は戦後間もない日本、主人公の「私」は知り合いの榎本から、兵役から帰ってきた知人の画家・平泉貫一が別人なのではないか。調べてほしい。という依頼を受けた。 まずは手始めに貫一の家へ。 しかし貫一の両親も判然としない答えしかせず、妻のタエにいたっては戦争に行く前の貫一と会ったことすらない。 他の貫一と接触したことのある人物たちに話を聞くも、貫一の顔をまともに判別できる人間はいなかった。 そんな中で戦時中貫一が所属していた部隊の木ノ内が語る貫一像が、そしてその後の展開が、物語にますます深みを与えていく。 画家として、いや、人として、貫一、お前は何者だ。 それが気になって仕方ない。 作中では結局人物像しか分からず、一度も姿を表すことも声を発することも無かった貫一。影も形も見せることなく、読者である私を魅了する貫一。 最後のタエと主人公との語りはとても胸のすくものだった。 しかし、誰も戦争に行く前の貫一と現在の貫一が同一人物なのか判断できない中、貫一がタエにお札になぜ人の顔が描かれているかの理由を教えているところが印象的だ。 「人の顔というものは、人間がいちばん違和感に気がつきやすいものなんですって。特にその国の人間ともなると、元の顔を知らない場合でも、その人が不機嫌なのか、笑っているのかすらわかるようになっているんです」 なんという対比だろう。 貫一はどんな気持ちでタエにそのような話をしたのだろう。表紙の、ぐちゃりと分厚く絵の具を重ねた肖像画を見ながら思う。 本物か、偽物か。 そもそも本物とは。 人間に関して言えば、人1人のうちにも多面的なその人なる性質があり、しかもそれは環境や時の流れによって様々に変化していく。貫一ほど極端でなくても。 それでは本物とは一体。 たとえモノでもヒトでも動植物でもなんでも、この世の物は生々流転としている。 著者である高山さんの答えは、物語の最後に表れているのかもしれない。 ちなみに私はこのラストのおおらかなシーンが好きだ。 もっと穿った見方をしようと思えばいくらでもできるのだろうが…だからこそ、いろんな人と感想を語り合いたくなる、胸に残る作品だった。 ラピード・レチェの方は、レチェで牛乳ということは、スペイン語圏の国を意識したのでしょうか。 スポーツに疎い私、途中で主人公が教えている競技が駅伝と気づき、ああ!!となる。 駅伝はチーム戦であるが故に、個人では味わえない喜びと苦しみがあるのだろうな… 何気なく、けれど自身で選び取ってかの国にやってきて、アレクセイと出会った主人公。 自分という漠然とした何かを、他にも大事な何かを、きっと日本に帰る頃にはもっとハッキリと掴み取って進んでいくのだろう。そう思わされる微笑ましい、素敵な終わり方でした。 高山さんの著作を読むのは2冊目だけれど、今のところどちらもとても心に残る。 他の作品もぜひ読んでいきたい。

Posted by ブクログ

2022/08/21

先日、芥川賞を受賞した高山羽根子の前作。高山羽根子の作品には、どこか不安にさせるような足元がぐらぐらした感じと、ぱっと広がる美しい情景、とこの二つが特徴。 たとえば、「オブジェクタム」の最後のでは不安ばかりが目立ち、 復員した画家の男が本物かどうか、というと、どうしても「犬神家の...

先日、芥川賞を受賞した高山羽根子の前作。高山羽根子の作品には、どこか不安にさせるような足元がぐらぐらした感じと、ぱっと広がる美しい情景、とこの二つが特徴。 たとえば、「オブジェクタム」の最後のでは不安ばかりが目立ち、 復員した画家の男が本物かどうか、というと、どうしても「犬神家の一族」のスケキヨを思い出してしまう。スケキヨも顔がアイデンティティを証明しえない場合、どうやって証明するか、という問題だったが、今回もまったく違った顔の人物をどうやって同一人物と証明するか、というのが、問題。 作風がまったく一緒だからということで同じである、と美術評論家は確信するが、そもそもその男が贋作を得意とし、どんな作品でも模写してしまう、のである。そうなると、そもそもその男は誰かを模写していたのではないか、本物ってなに?となり、ほら気持ち悪くなってくる……。このぐらぐら感は、PKディックと同じぐらぐら。

Posted by ブクログ

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