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「カッコいい」とは何か 講談社現代新書

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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2019/07/17 |
JAN | 9784065170489 |
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「カッコいい」とは何か
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商品レビュー
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55件のお客様レビュー
“ビュフォンが『人間の博物誌』(一七四九年)を書いて以来、「男らしさ」は、”生物学”に基盤を得て、自然主義的に主張されるようになる。男女の性的二形性ーつまり、男女は解剖学的、生物学的に違うという事実ーから、その差異は社会的な存在論にまで拡張され、結局のところ、男性の優位を根拠づけ...
“ビュフォンが『人間の博物誌』(一七四九年)を書いて以来、「男らしさ」は、”生物学”に基盤を得て、自然主義的に主張されるようになる。男女の性的二形性ーつまり、男女は解剖学的、生物学的に違うという事実ーから、その差異は社会的な存在論にまで拡張され、結局のところ、男性の優位を根拠づけようとする思想が、一九世紀以降、広まっていく。この時代、取り分け注目されたのは、男女の体液だった。女性が母乳や涙、分泌液など、「体液を排出するよう勧められた」のに対して、男性は「涙であれ精液であれ、自分の体液の流出を結し、抑制するよう促される。快楽を管理し、性的エネルギーを規制することが、男らしさを示すこと」と理解されたという。「男らしさ」とは、つまり、自己を主体的にコントロールすることであり、更には自己の周辺の状況、女性を含めて他者をコントロールすることだった。その「性的エネルギー」の規制のために、一種の道徳神学と医学との両方から反マスターベーション運動が起こり、途中、その無害を唱える説などによって緩和されつつも、精液の放出が生殖能力を低下させ、ひいては「男らしさ」を損なうという不安は、イギリスでは一九〇〇年をピークとし、両大戦間まで続いた。しかし、マスターベーションは、意志の力で我慢できるかも(?)しれないが、夢精となると、打つ手がない。むしろ、ますます厄介な問題であり、そのために、自殺を考えるほど思い悩む男性までいた。驚くべきは、こうした「精液漏パニック」が、この時期、ヨーロッパ中で広がっていた事実である。勿論、「男らしさ」が減退するという不安だけでこの有様なので、その根本的な欠如の宣告である性的不能は、絶望的な問題だった。スタンダールの『恋愛論』に見られる如く、不能は言わば偶発的な「しくじり」だったが、それはいかにも深く自尊心を傷つけ、本質的に恥辱と感じられたが故に、医学的な原因究明の情熱は、一九世紀の間、醒めることがなく、禁欲は良いのか悪いのか、禁欲が長すぎるのが問題なのか、マスターベーションのし過ぎなのか、性交のし過ぎなのかと、その説は揺れ続けた。しかし、これらはいずれも、今日の男性たちが通俗的に信じていることと、そう大差がないのではあるまいか?”
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つまるところ、体感、痺れるような体感があることが必要なんだとか。カッコいいとはということを調べてここまで色々なテーマがあることに驚いた。 自分の場合は、自分もやっていること、たとえば野球とかで、とても自分には成し得ないようなことをやってのけるヤツはカッコいいし、世間が何を言おうと...
つまるところ、体感、痺れるような体感があることが必要なんだとか。カッコいいとはということを調べてここまで色々なテーマがあることに驚いた。 自分の場合は、自分もやっていること、たとえば野球とかで、とても自分には成し得ないようなことをやってのけるヤツはカッコいいし、世間が何を言おうともブレない奴もカッコいい。それは大谷もそうだけど、自分の場合は王選手であり、そして長渕剛なんだが…
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我々はカッコ良さに呪われている。どこまでもかっこ良さを求めている。カッコ良さにこだわらないカッコ良さ。さらにはカッコ良さに素直に開くカッコ良さ。しかしながら、これらは他人をそのように思うだけで、「自分」は絶対にカッコよくなれないという構造。この構造が呪いだ。 結局、カッコ良さは納...
我々はカッコ良さに呪われている。どこまでもかっこ良さを求めている。カッコ良さにこだわらないカッコ良さ。さらにはカッコ良さに素直に開くカッコ良さ。しかしながら、これらは他人をそのように思うだけで、「自分」は絶対にカッコよくなれないという構造。この構造が呪いだ。 結局、カッコ良さは納得感ではないか。同じ著者の分人論では、関係の数だけ個性が存在するわけで、それらの統合がカッコ良さだという見方をやめるよう告げている。
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