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雪つもりし朝 二・二六の人々
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | KADOKAWA |
発売年月日 | 2017/02/04 |
JAN | 9784041052129 |
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雪つもりし朝
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商品レビュー
4.2
10件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
昭和11年2月26日、様々な立場で2・26事件を経験した人々。彼らの後の人生に繋がる「この一日」を史実を踏まえながら、物語に仕立てた5つの短編。 「身代わり」・・・総理大臣・岡田啓介 「とどめ」・・・侍従長・鈴木貫太郎 「夜汽車」・・・第31連隊(弘前)・秩父宮 「富士山」・・・吉田茂の娘(麻生太郎の母)・麻生和子 「逆襲」・・・映画「ゴジラ」の監督・本田猪四郎 中でも秩父宮と青年将校・安藤輝三との信頼関係、天皇と秩父宮の幼少期の乳母・タカの夫である鈴木貫太郎を手に掛けなければならなかった安藤の苦悩と最後の行動を描いた「夜汽車」には思わず涙。 そしてここにも、会津の逆賊の娘が出てきてこの夏に読んだ「火影に咲く」や「紺碧の果てを見よ」を思い出す。 そうしてみると、その2作のみならず、やはり8月に読んだ「野火」も「雪の階」も決して無関係に存在してはいなくて、歴史はやはり連なっていくんだな~という当たり前のことにじみじみと感じ入るとともに、奇しくも歩兵第1連隊が出動したその場所でかつて働いたことも懐かしく、これを機会に2・26ゆかりの地を歩いて見ようかなどと思った読後でした。
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"お龍"を読んで、植松さんのファンになり、これを借りてみた。2.26事件について今までさほど注視してなかったので、新鮮な感じで読めた。5章の短編からなるがそれぞれ繋がりがあって、なるほど〜と感じる点が多かった。植松さんの描写の丁寧さで映画を観てるかのような文章...
"お龍"を読んで、植松さんのファンになり、これを借りてみた。2.26事件について今までさほど注視してなかったので、新鮮な感じで読めた。5章の短編からなるがそれぞれ繋がりがあって、なるほど〜と感じる点が多かった。植松さんの描写の丁寧さで映画を観てるかのような文章で1〜4章まで一気に読めた。現代に繋がるゴジラの最後の5章だけは…読みにくかった。また違うの読んでみよう〜
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昭和11年。皇道派の陸軍青年将校らが、一千人を超える士官・兵を率いて決起したクーデター未遂。二・二六事件。襲撃した側と、襲撃された側。それぞれに生き残った人々は、あの事件をどう受け止め、事件後をどう生きたのか。 容貌・体格のよく似た義弟が身代わりとなり、女中部屋の押入れに隠れ難...
昭和11年。皇道派の陸軍青年将校らが、一千人を超える士官・兵を率いて決起したクーデター未遂。二・二六事件。襲撃した側と、襲撃された側。それぞれに生き残った人々は、あの事件をどう受け止め、事件後をどう生きたのか。 容貌・体格のよく似た義弟が身代わりとなり、女中部屋の押入れに隠れ難を逃れた当時の首相・岡田啓介。 至近距離から銃撃を受け、瀕死の重傷を負いながらも止めを刺されることなく生き延びた鈴木貫太郎とその妻、タカ。 将校たちを叛乱軍とみなし激昂する兄、昭和天皇。決起した将校、安藤輝三とその歩兵第三連隊と縁深く、立場ゆえに懊悩する弟、秩父宮。 襲撃された祖父・牧野伸顕伯爵を助けながら、雪の湯河原山中を逃げた吉田和子(麻生太郎氏の母)。 たまたま所属していた連隊から決起部隊が出た。そのために三度の召集を受け、執拗に戦火の最前線に送り込まれた本多猪四郎。 彼らが永遠の平和を求め、日本の終戦と戦後を作りあげてゆく様子を描く連作短編集。 東京が30年ぶりの大雪に見舞われた、その未明に事件は起き、否応なく転換期はやってきた。とてつもなく恐ろしい気配はあるのに、その実態はわからず、わかった時には、事態はどうにもならないところまで来ている。 彼らが体験した恐怖や緊張が降り積もり、踏みにじられていく過程が、一貫して淡々と描かれている。 読んでいると、雪の朝のしんとした静けさと寒さのような、昏い時代の冷徹さにからだが震える。 牧野伸顕伯爵の孫であり、吉田茂の娘である吉田和子が主人公の『富士山』では、その長男である麻生太郎氏による、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」という後年の述懐を感じる描写が多々ある。 麻生氏が子供の頃、ご両親たちは日本の独立に向け、国のために奔走していた。だからこその言葉だったのではないかと思う。 序章と終章は蛇足に感じた。
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