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カール大帝 ヨーロッパの父 世界史リブレット人029

佐藤彰一【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 山川出版社
発売年月日 2013/05/10
JAN 9784634350298

カール大帝

¥550

商品レビュー

2.7

3件のお客様レビュー

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2015/11/29

世界史のヨーロッパ史のうち、いまいちよくわからない時代に出てくるのがカール大帝(シャルルマーニュ)である。 ※以下はカール大帝で表記を統一する。 カール大帝(742~814年)の時代に、ヨーロッパでは他に何が起こっていたのだろうか。 『山川世界史総合図録』によれば、大きな出来事...

世界史のヨーロッパ史のうち、いまいちよくわからない時代に出てくるのがカール大帝(シャルルマーニュ)である。 ※以下はカール大帝で表記を統一する。 カール大帝(742~814年)の時代に、ヨーロッパでは他に何が起こっていたのだろうか。 『山川世界史総合図録』によれば、大きな出来事として732年に「トゥール・ポワティエの戦い」があり、756年には「後ウマイヤ朝」が成立した。 …それくらいである。 ほとんどの方はイメージが湧かないのではないか。 僕も湧かない。 そんな時代に活躍したカール大帝は「ヨーロッパの父」と呼ばれることになるが、どのようなことを成し遂げたのだろうか。 カール大帝は、カロリング朝の後継者である。 「カロリング」とは「カール家の」といった意味であり、それが指すのはカール・マルテル(688頃~741年)である。 カール・マルテルは既に挙げた「トゥール・ポワティエの戦い」に勝利をもたらした人物だ。 ちなみに「マルテル」というのは「鉄槌」という意味だそうだ。 「トゥール・ポワティエの戦い」とは、イベリア半島(スペイン・ポルトガルがある半島)から中央ヨーロッパへ侵入してきたイスラム教軍を撃退した戦いである。 カール・マルテルの息子が「ピピンの寄進」で知られる小ピピンであり、フランク王国においてメロヴィング朝に代わりカロリング朝を開くことになる。 「ピピンの寄進」とは、イタリアのラヴェンナ地方を教皇に献上したことを指す。 その小ピピンの息子がカール大帝である。 つまりカール・マルテルの孫にあたり、そもそもはフランク王国カロリング朝の王に過ぎないのであるが、なぜ「ヨーロッパの父」と呼ばれるようになったのか。 それは、彼の極めて広範な活動によるところが大きい。 「もう1人のアレクサンドロス大王」であり、その戦歴は「もうひとつのガリア戦記」とも呼べるだろう。 カール大帝は、まず773年にランゴバルド王国を制圧する。 ランゴバルド王国はローマなど教皇領を除くイタリア本土全体を支配していたゲルマン民族の国家である。 次に、異教徒の国であるザクセン地方(現在のドイツ)の制圧に向かう。 これには772年から804年まで30年を要した。 またザクセンと戦う傍ら、イスラム領であったヒスパニア(スペイン)へも778年に進軍を行い、カタルーニャ地方に領地を創設する。 ちなみに、このときのスペインを支配していたイスラム国家が冒頭で登場した「後ウマイヤ朝」である。 カール大帝は、さらにバイエルン地方にも787年に進軍し制圧。 そこからさらに東に進み、791年に東欧、現在のスロヴァキアあたりを支配していたモンゴル系民族であるアヴァール人と戦うことになる。 ただ、その軍事力は弱く、また自発的なキリスト教への改宗もあったようで制圧は容易だったようである。 こうしてカール大帝は単なるフランク王国の王から、西はスペイン手前、南はイタリア、北はドイツ、東は東欧という広大な地域を支配下に置くことになる。 そして800年、カール大帝は西ローマ帝国の皇帝としてローマ教皇から戴冠される。 476年にゴート族により滅ぼされてから途絶えていた西ローマ帝国の復活である。 ここで対立することになるのがビザンツ帝国(東ローマ帝国)であった。 というのも、ビザンツ帝国がローマ教皇による権威を失うということは、その正当性に関わる問題になってしまうからだ。 806年、ヴェネツィアにて西ローマ帝国とビザンツ帝国の戦闘が行われるが、最終的に和平となったようである。 その後、カール大帝が支配した広大な領地は彼の死去に伴い分裂し、現在のフランス・イタリア・ドイツなどの原型となる。 カール大帝のもうひとつの大きな功績は、その領土拡大に伴った文化的交流であった。 それは「カロリング・ルネサンス」と呼ばれる。 イタリア・ルネサンスの800年前である。 本書によればカロリング・ルネサンス(800年頃)以前には写本は2000点しか存在しなかったとされているが、その後100年間で8000点もの写本が生み出されたという。 また正確で読みやすい「カロリング(カロリーナ)小文字」の発明も、カロリング・ルネサンスの産物であった。 これについてはWEBサイト「世界史の窓」によるメロヴィング文字とカロリング文字の比較画像が分かりやすい(http://www.y-history.net/appendix/wh0604-018_1.html)。

Posted by ブクログ

2014/09/16

ヨーロッパの父、カール大帝。世界史リブレットの「人」であるが、他の方も行っている通り、カール大帝にまつわる出来事はそれなりに記されているが、その人となりはほとんどわからない。もっと人物に迫ってほしかった。でも、全体的にはわかりやすくてよかったとは思う。 14/9/16

Posted by ブクログ

2014/09/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

フランスとドイツの原型であるフランク王国の偉い王様。イスラム勢力に勝ったのはお祖父さんのカール=マルテル ローマ教皇がビザンツ帝国から独立するための拠り所になったのがフランク王国。この国がなければ今のヨーロッパは違うものになっていたはず。このカール大帝(シャルルマーニュ)からヨーロッパの起源を考察する。 とはいえ、こんな薄い本でまとめるから薄い内容である。それに1200年前のことですから、やはり歴史的事象に瑞々しさが乏しいです。初見さんには退屈は否めない。 とはいえ、とはいえ、教科書以上のことが学べます。でも小学生向けの学習漫画も側にあるとよいカモ。 ____ p58  貴族が戦士  ローマ帝国時代の貴族は行政官で教養があるものだった。ゲルマンの大移動で中世が始まり、北ヨーロッパの様相も変わった。メロウィング朝の時代になると貴族が戦士になり略奪戦争にいそしんだ。そういう時代の国王の人柄や生き方をよく考えてみたひ。 p59  戦争の目的 「戦争は生活の一部」と言われた。ヴァイキングと同じ思考。そういう時代だったのだ。ヨーロッパはこの時代イスラームとの交易もあった。その東からの富を得るほうが、生産よりも効率的に財を成せる。そういう時代だったのだろう。 p66  聖職はおいしい職業  当時のキリスト教の聖職は司祭や修道院長として都市において地位を持っていた。王侯・貴族はその二男三男を聖職者になるよう教会に送り込み、聖界での権力基盤を作った。また、国家が教会財産を私用しやすくした。フランク王国の道具となった教会には、戦争で先陣切って戦う司祭がいるほどだった。 p69  カール大帝の規律化  戦に特化したような社会を安定統治するには規律が必要である。人々に規律を持たせるには教養と教育が必要である。カロリング・ルネッサンスはそういうことも目的としていたに違いない。ゲルマニアに教化を進める敬虔な修道士に協力して、腐敗していたフランク教会の改善を図った。 p74  カロリング小文字  側近のアルクインの提言で文字の改良がされた。古代ローマの草書体から発展したラテン文字は連結して読み間違いやすかった。ラテン語を生活言語としない人々には扱いづらく、教化の抵抗になった。そのためカロリング小文字という、文字の判別のしやすさ、文節のわかりやすさ、美しさを改良した文字を作った。これもカロリング・ルネッサンスである。 p90 「ムハンマドなくして、シャルルマーニュなし」  フランク王国はイベリア半島のイスラーム国家ウマイヤ朝に押し込められていた。だから内政に集中してヨーロッパで覇権を握れた。というわけではない。  当時のイスラームはイベリア半島を通してヨーロッパに富をもたらした側面もある。さらに東方のギリシア文化やインドの科学など文明ももたらした。 _____  当時ローマ教皇がビザンツ帝国から独立したいと考えていたからフランク王国は大きくなれた。  イスラームがヨーロッパに攻め込んだが、その分東西交流が進み文明の発展が進んだ。    種々の要因があったからカロリング朝は大きくなれたのだが、そのチャンスをものにした国王たちはすごいと思いました。

Posted by ブクログ

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