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ヤンキー文化論序説

五十嵐太郎【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 河出書房新社
発売年月日 2009/03/04
JAN 9784309244655

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商品レビュー

3.8

16件のお客様レビュー

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2018/03/10

社会学の時間に習った『ハマータウンの野郎ども』に相当するようなもの、つまり労働者階級の若者が、学校組織からは逸脱しているようでいて、最後はちゃんと労働者として吸収されていく、みたいな本が日本にはないなぁ、たとえばヤンキーの生態を描いたようなやつ、みたいなことを学生時代に仲間と話し...

社会学の時間に習った『ハマータウンの野郎ども』に相当するようなもの、つまり労働者階級の若者が、学校組織からは逸脱しているようでいて、最後はちゃんと労働者として吸収されていく、みたいな本が日本にはないなぁ、たとえばヤンキーの生態を描いたようなやつ、みたいなことを学生時代に仲間と話した記憶がある。というわけでようやく出ましたよ。それに相当するやつが。 序説というだけあって、いろんな人がいろんなことを言っている。 でも、今までまじめにやった人がいなかったのだから、しょうがない。 で、なぜ、日本にヤンキー文化論がないのか、それはヤンキー出身の研究者がいないからだ、というのは言われてみれば、至極当然。この点が、オタク文化論とは、真逆だというのも頷ける。 とはいえ、最近、痛車の輸出ビジネスでウハウハとかいう人もいるし、オタクの次はヤンキーか?との思いを、強くした次第。 でも、クール・ジャパンじゃないでしょう。さしずめキッチュ・ジャパンですか? 宮台氏もインタビュー参加です。あと、映画『国道20号線』についての宮台氏の評論「映画『国道20号線』はなぜ世紀の大傑作なのか」は、結構いろんなところに転載しているような気がするのですが・・・。 まあ、それだけすばらしい映画ということを言いたいのでしょうな。 あと、宮台氏が、96年あたりから、女子高生相手のフィールドワークをやめたことをさして、「ナンパ師が「ナンパがつまらなくなった」と言うのと同じです(笑)。」と言っていますが、それは違う。言うなれば、ナンパ師が老いを感じて引退したのに近い。時代の変化に自分の技がついていけなくなったのですね。 あ、でも、ナンパ師は老いを感じたとき、「つまらなくなった」といって引退するのかも。だとすれば正しいのか。 そういえば私も、予備校講師職をそうやって卒業したっけ。 ともあれ、ヤンキー的なものに未来はあっても、実際のヤンキーはもう消えゆく運命にあることが、多くの書き手が論じていて少し寂しい。 ヤンキーが落ち着く先の配管工とか、そういった職は、もう少なくなっているのね。

Posted by ブクログ

2017/02/10

複数の論者で書かれた、ヤンキー文化に関しての序説。ヤンキー魂からファッション、地域社会の中のヤンキー等々、まじめに語られてます。個人的に建築の項目がツボでした。今の日本の問題点も、見出すことができる…のかな?

Posted by ブクログ

2015/09/24

久しく耳にしていなかった「ヤンキー」という言葉を、2013年頃から再び耳にするようになった。 斎藤環の「ヤンキー文化論」に関する活動が大きいのだろう(http://toyokeizai.net/articles/-/13068) そんな「ヤンキー文化論」のそもそもの発端を担っ...

久しく耳にしていなかった「ヤンキー」という言葉を、2013年頃から再び耳にするようになった。 斎藤環の「ヤンキー文化論」に関する活動が大きいのだろう(http://toyokeizai.net/articles/-/13068) そんな「ヤンキー文化論」のそもそもの発端を担ったのが本書である。細分化された「ヤンキー文化」を幅広く知ることの出来る、現在のところ唯一無二の入門書である。 同書の目論見は、ジャパニーズカルチャーの通奏ならぬ通騒低音とでも言うべき「ヤンキー文化」を、多角的に探ってみようというものだ。 例えば、WORST、改造バイク、デコ携帯、箱物建築・・・などなど、日本人なら肌でわかる「あの似た感じ」の輪郭を手探っていく。 こうした点で、本書は明確な共通フォルムやモデルを提出する類の本ではない。様々なテーマ・角度から、「ヤンキー文化」を少しでも炙り出そうとする問題提起的な性格が強い。すなわち、「ヤンキー文化論」の切り込み隊長と呼ぶべき書である。 中でも、都築響一へのインタビュー『ヤンキーは死なない』、大山昌彦『暴走族文化の継承』が面白かった。ラストのナンシー関のエッセイはどれも興味深いが、同書の野望ともとれる引用を一つ。 ”私には「世の中には”銀蝿的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、そしてその一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代終わりという時代の「銀蝿的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蝿出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蝿的なもの」はあったし、あり続けているのだ。− ナンシー関(pp.271)” 本書で紹介されている「ヤンキー文化」の「気合で解決」、「不良好き」、「どこか抜けててカワイイ」、「やるときはやる」といった美学要素は、「オタク文化」における厨二病的な様々なお約束事とも重なってみえる。 特に現代的な「ヤンキー文化」と「オタク文化」表現は、ごく表層レベルでの見えが違うだけで、ひとつレイヤーが下がると相当早い段階でオーバーラップしているようにも推測される。 先ほどのナンシー関の言う、「オタク」「ヤンキー」をとっぱらった上での「銀蠅的なもの」とは果たして何なのだろうか。今後の各研究者の研究を楽しみに待ちたいところだ。

Posted by ブクログ

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