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日本の歴史 改版(7) 鎌倉幕府 中公文庫

石井進(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 2004/11/19
JAN 9784122044555

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日本の歴史 改版(7)

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2022/09/25

鎌倉幕府の成立をいつとするかは諸説ある。 治承四年(一一八〇年)十二月十二日に頼朝が鎌倉の大倉御所に入り、鎌倉殿と呼ばれるようになった時からとの説がある。朝廷から何かを認められたことが重要ではなく、東国武士団が朝廷とは無関係に頼朝を自分達の主と認めたことが重要とする立場である。一...

鎌倉幕府の成立をいつとするかは諸説ある。 治承四年(一一八〇年)十二月十二日に頼朝が鎌倉の大倉御所に入り、鎌倉殿と呼ばれるようになった時からとの説がある。朝廷から何かを認められたことが重要ではなく、東国武士団が朝廷とは無関係に頼朝を自分達の主と認めたことが重要とする立場である。一方で頼朝は独立国を建てるつもりはなく、日本史上の制度としての幕府の始まりとしては弱い。 寿永二年(一一八三年)の十月宣旨を受けた時とする説がある。ここで頼朝が東国の荘園や国衙領の年貢を京都に送ることを名目として、頼朝の東国の支配権を認めた。後の守護・地頭の設置は東国においては、これの追認に過ぎなかった。 元暦元年(一一八四年)の公文所と問注所の設置とする説がある。幕府の機関が誕生した時とする。 文治元年(一一八五年)の守護・地頭の設置とする説がある。現代の最有力説である。全国的な制度としての鎌倉幕府は守護・地頭の設置が重要になる。御家人との関係で征夷大将軍よりも日本国惣追捕使と日本国惣地頭が重要であった。 建久元年(一一九〇年)の右近衛大将就任とする説がある。幕府という唐名は近衛府や近衛大将、近衛大将の居館を指していた。 建久三年(一一九二年)の征夷大将軍就任とする説がある。かつての通説である。「いい国作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせで有名である。後の室町幕府や江戸幕府が征夷大将軍就任を契機としていることから、後世では征夷大将軍就任が幕府開設と受け止められたことも事実である。 これらのどれが正しいかという議論は、あまり意味がない。ある日突然、鎌倉幕府が成立したというものではないためである。 「政治組織の機構についていうならば、まず最初に存在するのは仕事であり、その必要に応じて政務をおこなう人が配当される。それがある程度永続したのちに、はじめて一つの組織のかたちがそなわり、やがて職名が生じる。これが原則だったからであり、今日のわれわれを悩ましているあの複雑膨大な官僚機構(そこではしばしば人のために組織が設定され、仕事が発見されている)とはまったくその原理を異にしていたからである」(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府 改版』中公文庫、2004年、229頁以下) ここには仕事(役割、ロール)があって、そこに人をアサインするというジョブ型の発想がある。ビジネスの世界では官僚的な日本型組織からグローバルな民間感覚への転換が言われている。歴史も日本型組織の感覚ではなく、グローバルな民間感覚で見ることが正しい。 この感覚からすれば征夷大将軍就任を鎌倉幕府の開始とする説はポスト就任が大事という公務員感覚であり、どうしようもなく古い。批判されることは当然である。守護・地頭の設置という役割ベースの観点が重視される。しかし、一一八五年の時点で守護・地頭という名前の役職が置かれたかは疑問視される。既に東国では実質的な支配がされており、それを朝廷から追認されたに過ぎないという面がある。 このために頼朝が鎌倉に入って鎌倉殿となった時点が鎌倉幕府の体制が始まったとする説が有力になる。その後の出来事は発展過程となる。故に2022年NHK大河ドラマのタイトルは『征夷大将軍の13人』ではなく、『鎌倉殿の13人』となる。

Posted by ブクログ

2022/05/16

この7巻はまるで叙事詩を読んでいるかのようで、歴史の本ながら物語を体験しているように引き込まれた。明月が見守る京から鎌倉に視点がうつったり、親鸞と道元を対比させてその一生を紹介したりと、とても面白い語り口だった。

Posted by ブクログ

2022/04/26

中央公論の歴史本第7巻。平家を滅ぼせという以仁王の令旨に呼応した源氏が各地で立ち上がる。伊豆に流されていた頼朝もその一人だった。全国のいたるところで燃え上がる反抗の火の手に追われるかのように清盛が熱病で死に、平氏は安徳天皇らを連れて西国に逃亡する。木曽義仲が挙兵するもその乱暴狼藉...

中央公論の歴史本第7巻。平家を滅ぼせという以仁王の令旨に呼応した源氏が各地で立ち上がる。伊豆に流されていた頼朝もその一人だった。全国のいたるところで燃え上がる反抗の火の手に追われるかのように清盛が熱病で死に、平氏は安徳天皇らを連れて西国に逃亡する。木曽義仲が挙兵するもその乱暴狼藉ぶりは目に余り、義経と範頼によって殺される。義経は壇ノ浦で平家を滅ぼして大スターとなるがしかし後白河天皇から勝手な官位授与をされたとして頼朝の逆鱗に触れ、奥州の地で滅ぼされてしまう。一般に義経を捕縛するために置かれたのが守護・地頭と言われているがこの設定理由は吾妻鏡の歪曲によるものだという作者の考えは興味深い。詳細→ http://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou31601.html

Posted by ブクログ

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