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丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム 中公新書

竹内洋(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社/
発売年月日 2005/11/25
JAN 9784121018205

丸山眞男の時代

¥220

商品レビュー

3.7

14件のお客様レビュー

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2021/05/30

竹内洋 「 丸山眞男 の時代 」 丸山眞男の思想論というより、丸山眞男は誰を啓蒙し、その背景は何かを論じた本。東大法学部という肩書とジャーナリズムを利用して、大衆にインテリという政治主体者の役割を啓蒙したという構成 敗戦により天皇が象徴になり、国体が破壊された日本において、...

竹内洋 「 丸山眞男 の時代 」 丸山眞男の思想論というより、丸山眞男は誰を啓蒙し、その背景は何かを論じた本。東大法学部という肩書とジャーナリズムを利用して、大衆にインテリという政治主体者の役割を啓蒙したという構成 敗戦により天皇が象徴になり、国体が破壊された日本において、大衆に政治主体となるよう啓蒙したようにも読めるが、丸山眞男に代表される知識人が大衆をコントロールしているようにも読める。本の後半は 丸山眞男への批判色が強い。必要悪として捉えている 戦中日本のファシズムを超国家主義とした丸山眞男の概念は 自由意思のない国家主権をうまく表現している。倫理すら権力化し、上級者によって規定された行動基準には 恐怖を感じる 八.一五革命説 *日本国民は敗戦によって国体から解放され、自由なる主体となった *八月十五日にさかのぼれ〜私たちは廃墟の中から、新しい日本の建設を決意した

Posted by ブクログ

2018/07/12

本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。 本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和...

本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。 本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和感が数多く語られる。戦争に反対する社会的クラスと積極的に賛成するクラスを、画一的に論拠なく断定したこと。社会運動を煽るものの、サルトルなどとは異なり自身はそれらに参加しないこと。そして学生運動で自身の研究室が破壊され、学生をナチス以下呼ばわりしたこと。荻生徂徠を近代政治のきざしであるかのように牽強付会に論じたこと。日本の敗戦までのみちのりを西洋近代の理想からの落ちこぼれとみなしたこと、などなど。 丸山眞男は心のどこかで大衆社会を信用していない。にもかかわらず大衆社会を自身の理論と実践に最大限利用しようとする。それは30年代における大衆社会化の逆利用のようだ。だから戦後にファシズムや軍国主義が忌諱されたように、ひとたび大衆を裏切ったかように見られれば、丸山眞男も手のひらを返して糾弾されるのだ。よくも都合よく私たち大衆を利用したなと。戦争終結時の丸山眞男の有名な言葉、「どうも悲しい顔をしなければならないのは…」。ここからすでに大衆の心もちと掛け離れていたのであれば、はじめから運命は決まっていたのかもしれない。 当初は簑田胸喜との対比で丸山眞男が描かれる予定であり、簑田に触れる部分がずいぶん多い。

Posted by ブクログ

2017/01/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2005年刊行。著者は関西大学文学部教授。◆本書は丸山眞男の見解の分析書ではなく、また、人物評伝でもない。戦前戦後の「知識人」という存在について、丸山眞男を定点として切り取る書というべきか。けだし、蓑田胸喜に多くの頁を割くのは、大衆の知識人化という観点でなければ、理由が不明であろう。もっとも、戦前の国粋主義者による大学糾弾と全共闘などの戦後共産主義者による大学糾弾とは酷似の構図という点、大衆教育化社会・大学の大衆化という点など本書の内容は新奇とは言い難い。思わず「天皇と東大」下巻を軽く再読してしまった。 本書で描こうとする大衆知識人化の過程よりも、本書で詳述される蓑田胸喜個人の人生行路の方が面白い。国粋主義を煽る時の権力に事実上迎合し、大衆をアジっていき、大学の自治・表現の自由を掘り崩す役割を果たした。が、権力側から不要になると、その権力に睨まれ、自由な発言すら困難になる。失意の下で熊本に隠棲して昭和10年代後半期を過ごし、終戦後しばらくして死に至る。言論人としての存立基盤を自ら掘り崩した末路が哀れを通り越して、滑稽なピエロのように映る。

Posted by ブクログ

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