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遠い山なみの光 ハヤカワepi文庫

カズオ・イシグロ(著者), 小野寺健(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 早川書房
発売年月日 2001/09/15
JAN 9784151200106

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遠い山なみの光

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商品レビュー

3.5

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2024/05/07
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※このレビューにはネタバレを含みます

戦後、国の情勢が先行きみえず、まして女は自己主張を許されないときに、あくまでも個人として生きようともがいていた佐和子。彼女に悦子は惹きつけられ、また後年になってからも彼女の記憶が呼び起こされる。物語は進むというよりも悦子において揺らめいている。佐和子がいた長崎での過去と、娘を喪った後の英国での現在とを交互に。 奔放で美しく英語力の堪能な佐和子。その娘の万里子は母から放っておかれ、遅くまで家の外にいても心配だにされない。佐和子は愛人のアメリカ人男性に縋って渡米しようとする。日本を脱すれば幸福になれると信じている。万里子は知らない地に行くのをいやがるが母から離れたくはなく、奇妙な行動を繰り返し、毎日のように擬似家出をしたり、子猫を飼うようせがんだり、母の目を自分に向けようとする。悦子はそんな母娘から目が離せなく、身重でありながら寄り添い、お金を貸したり仕事を紹介したりする。そのときお腹にいたのは、後に自死してしまう景子。明示はされないが、万里子と景子は悦子の中で重ね合わせてられている。佐和子と万里子はその後どうなったか、なぜ夫よりも義父の緒方と悦子は親しいのか、佐和子と従姉の靖子、そしてニキと景子の関わりはどのようであったのか、登場人物の関係性や来し方行く末は不可解で、終始あいまいなまま読者はとりのこされていく。いや、そもそも確固たるものはなかったのかもしれない。曖昧な記憶は不確定な関係性と切り離せない。 ここでの多くの言葉のやりとりは、どれも軸が定まらず回る独楽のようで、また、噛み合わない歯車のようで、ぐつぐつ焦燥感を煽る。戦後まもなくの、だれもが明日どこへ向かうともわからない様相を表しているのだろうか。心を寄せてよい場所は何処に? 「遠い山なみの光」とはそんな心境で見たものなのか。 窓から外を見る描写(おもちゃの双眼鏡も出てくる)が物語を通して目立ったのもおもしろい。

Posted by ブクログ

2024/04/23

先に名前のインパクトのある、素直に素晴らしいだろうと思い実際に文学に触れた重篤感があり、なにより読み易い。なんだろうかこの感覚は、たしかに不思議な登場人物に終わらせ方に ラストもページ捲ってありゃまあニキのお見送りが終わりかいってなあーってこと。ニキもそうだが掴みきれずに 万里子...

先に名前のインパクトのある、素直に素晴らしいだろうと思い実際に文学に触れた重篤感があり、なにより読み易い。なんだろうかこの感覚は、たしかに不思議な登場人物に終わらせ方に ラストもページ捲ってありゃまあニキのお見送りが終わりかいってなあーってこと。ニキもそうだが掴みきれずに 万里子も、うーむだし、景子の誕生シーンも二郎との別れもなかったが。それでも読み終わるのは要所要所に大切なものが詰まっていたから。あっ佐知子の伯父の家に戻らないのと自分がアメリカ行けないことを分かっているのに神戸に行くという場面が全く理解出来んのよ。これもう一度読むと違いがわかるんかなあー

Posted by ブクログ

2024/04/08

タイトルからは想像できない、薄暗くてちょっと不気味な小説。 現在居住するロンドンで自分の娘を自殺で亡くした悦子が、その体験をきっかけに、長崎に住んでいたときに出会った少し変わった母娘、佐知子と万里子との経験を回想するというもの。 大戦直後、まだ原爆からの復興も道半ばの長崎を舞台背...

タイトルからは想像できない、薄暗くてちょっと不気味な小説。 現在居住するロンドンで自分の娘を自殺で亡くした悦子が、その体験をきっかけに、長崎に住んでいたときに出会った少し変わった母娘、佐知子と万里子との経験を回想するというもの。 大戦直後、まだ原爆からの復興も道半ばの長崎を舞台背景に、母娘との出来事を想起する形で綴られていく。 佐知子は、かつては東京でそれなりの生活を送っていたが、戦争で母娘二人きりになり、長崎へとやってきた。 東京で知り合ったアメリカ人の愛人のいい加減な言動に翻弄されながらも、そのアメリカ人がいまのみじめな生活を救ってくれると信じている。 娘の万里子は10歳くらいで癇癪持ち。そして時折とても不気味な発言をして悦子を当惑させる。 悦子は自身が身重でありながらも、この母娘に協力してあげようと必死に世話をする。 佐知子と悦子は価値観が全く異なる。主人公の悦子は戦前からの日本的価値観の持ち主。一方の佐知子は戦後アメリカから導入された民主主義的解放を信じた言動をする。 会話が全く噛み合わない。まず不気味さの一端はここにある。 本作のテーマの一つは、戦後流入した新たな価値観を自分のアイデンティティとして受け入れるというところにあるのだというところが随所に感じられる。 戦前価値観側の悦子、そして悦子の面倒をみた緒方さん。そして一方が悦子の夫で緒方さんの息子である二郎と、そして佐知子。 悦子が回想する時点では、既に彼女は新たな価値観の中で生きており、その受容過程が想起するエピソードに大きく影響を与えている。 そしてもう一つの大きなテーマ。これはカズオ・イシグロの多くの作品に共通するものであるが、記憶の曖昧さ。 物語のなかで、誰かが何かを想起するという場面はごまんとある。ただ、多くの場合それは記憶とはいえはっきりと語られる。 一方のカズオ・イシグロの作品は、記憶は、本来人間の持つ記憶と同じで、とても曖昧なもの、信頼ならないものとして物語に投入される。 そして、想起する人間のそのときの状態によって、記憶は適当につぎはぎされ、都合良く改編される。 劇場で聞いた実に立体的なオーケストラが、録音で聞いたら平面的になってしまうのと同じように、時系列的な奥行きが平面へと吸収され、3年前と1年前の出来事が同一平面の記憶として存在したりする。 いなくなった万里子をおいかけた悦子が、追いかける途中でサンダルに縄がからまる。でもその記憶が、最終盤、もう一度万里子をおいかけることになった経験のときにも混在している。 この場面、心底不気味なのだが、あとから振り返ると、人間の記憶を実にリアルに表している。 彼の代名詞的な表現技法として名高い「信頼のできない語り手」というのは、この処女長編からして確立している。 すごいと思う。ただほんと、薄気味悪い。 登場人物みんな薄気味悪い。カズオさん、ほとんど日本にいなかったと聞いているけど、よくまあこんな日本人特有の気味の悪さを抽出できたなと感心する。 ああ、そうか。あまり知らないからこそデフォルメできたのかもしれない。 や。面白い。薄気味悪いけど面白い。読みやすいし、おすすめですよ。薄気味悪いけど。

Posted by ブクログ

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