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民俗学への招待 ちくま新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房/ |
発売年月日 | 1996/03/23 |
JAN | 9784480056641 |
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民俗学への招待
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商品レビュー
3.7
9件のお客様レビュー
民俗学が明らかにしてきたさまざまな事例を紹介しながら、そこにかいま見られる心性が、現代の日本の生活文化にまでつながっていることを論じた本です。 1996年に刊行された本ということもあって、前年に起こった阪神大震災やオウム真理教事件などに言及しながら、大地震と世直しをめぐる過去の...
民俗学が明らかにしてきたさまざまな事例を紹介しながら、そこにかいま見られる心性が、現代の日本の生活文化にまでつながっていることを論じた本です。 1996年に刊行された本ということもあって、前年に起こった阪神大震災やオウム真理教事件などに言及しながら、大地震と世直しをめぐる過去の人びとの思考のありかたや、富士講、ミロク信仰などを例に「日本のメシア」ともいうべき発想が存在したことが紹介されています。また、学校の怪談に代表される現代のフォークロアについても言及がなされており、現代社会について民俗学的な観点からの考察がなされるべきであるという主張が展開されています。 雑多なテーマがあつかわれているという印象で、本書によって民俗学についての体系的な理解を得ることはむずかしいように思いますが、民俗学的な思考の実例がさまざまなかたちで示されており、読者の興味を引こうとする著者の努力はうかがうことができるように感じました。
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「物言う魚」が人に対して警告などを伝えにくるという伝承も為になったけれど、阪神淡路大震災の1ヶ月前に大アナゴ?か何かが釣れたという話がもしかしたら何かを伝えにきてたのかも、という話がずっと頭に残ってる
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前回読んだ島田恭則さんの新書に続いて、民俗学の入門的読物。この2つを読んで自分自身の生活とそこに密着している民俗学的な視点がわかるようになってきた。 私の場合、祖母がお小遣いやお年玉をくれる時は仏壇に供えてからくれる。感謝のお祈りもする。また、家族旅行する時は仏壇にお祈りしてか...
前回読んだ島田恭則さんの新書に続いて、民俗学の入門的読物。この2つを読んで自分自身の生活とそこに密着している民俗学的な視点がわかるようになってきた。 私の場合、祖母がお小遣いやお年玉をくれる時は仏壇に供えてからくれる。感謝のお祈りもする。また、家族旅行する時は仏壇にお祈りしてから出かけて、帰ってきたら無事帰った感謝と報告をする。 学校で、汚いものや嫌なもの「○○菌」のようなものを触ったら、他の人にタッチすればその人へ菌が移る。あとバリアを言えばうつらない。タッチしても無効。(ケガレとか禊のような考え?) …などを今は思い出している。 印象に残ったこと 近所の祠に二十三夜の月待ちを偲んだ説明書きがあるのだが、十五夜だけでなく13-26まで集まる機会があり、月が出るのが遅いので夜を徹して待つならわしがあったとのこと。そのような風習が他にもあるようだ。 南方熊楠が、魂の入れ替わりについて書いていて、寝ている時などに魂が抜けること、入れ替わることは不思議なことではない、といった記述があるらしい。 魂の入れ替わりアニメ、ドラマ、マンガで出てくる定番というイメージがあるが、このテーマが古くからあるものとは思わなかった。外国の事例はわからないが、日本の風土の中ではぐくまれた話であるようだ。 民俗学とは無縁と思っていたサブカルチャー分野に昔話や民俗学的要素があるという、わかりやすい一例と思った。 ここでは親が子供に「お前は橋の下から拾ってきた子だ」という話について書かれていたが、宮田は理由はわからないが、橋は異界との境界の役割なのでそこに意味があるのではないかと述べている。一方犯罪の民俗学では口減らしのために子供を橋の下に捨てることがあったと考えていた。なお、ここでも橋が境界であることに触れていたように思う。 宗教観について 日本人は仏教でも神道でもなく、民間信仰の力が1番強いという。今も仏教行事の中に位置付けられている先祖祭りについて、柳田國男は念仏供養の功徳によって必ず極楽浄土にいけると請け合っておきながら、なお毎年毎年この世に戻ってきて棚経を読んでもらわぬと浮かばれないように思わせるという考えは仏教以前の固有の民間信仰からきていたと言っている。 仏教の極楽浄土のようにあの世は遠い存在ではなく、生活に密着した隠り世がすぐ近くにあるというのが日本人の民間信仰だった。 私が好んで読む、田舎の怖い話の源流はこういうところから来ていると感じた。
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