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許される悪はあるのか?
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許される悪はあるのか?
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【71冊目】テロリズムの脅威を前に、民主主義国の国民はどのような指針のもとに生きたら良いのかについての本。 「悪」とは、自由主義における悪、すなわち、国民の諸権利やそれを擁護する諸原則のこと。 我々は、(9.11以前から)テロリズムの脅威に常にさらされている。それから国民を守るのは政府の役割であることには間違いない。 しかし、一方で、国民を守るためには、国民の権利を侵害しなければならない。通信を傍受し、所持品の検査を受けさせ、IDの提示を義務付けさせなければならない。 9.11や地下鉄サリン事件等、テロリズムの脅威は世界中ありとあらゆるところで、様々な規模や手段をとって現われるものであり、それは改めて強調するまでもないことだけれど、それから身を守るためには、我々が生きるこの自由をある程度犠牲にしなければいけない。では、そのトレード・オフはどこまで許されるのか、という話。このトレード・オフが問題になるのは、しばしば政府は、テロリズムの脅威を口実に自由の(必要以上の)大幅な制限に向かいやすいからである。 このジレンマに正面から向き合う姿勢には好感が持てる。 筆者は、これがジレンマであるということを分からせるために、古今東西のテロリズムを引き合いに出しては、自由は必ず守られなければいけないものだと強調する・・・という作業を繰り返し行う。 冒頭から、当事者論争主義的審査(adversarial review)という言葉が繰り返されることからも分かるように、結局、このジレンマに対しての唯一絶対の解がなく、そのときそのときに、適正な手続きを踏んで議論をするしかないというのが結論なんだけどね。 非常に示唆に富む本だったのだけど、ここには2点書いておこう。 「テロリズムはデモクラシーの政治に対する外からの脅威であるだけではなく、それに本来内在しているものでもあるのだ。」 デモクラシーは多数決の原理を奉じているからこそ、少数派を守るために「人権」「自由」という考え方を導入する。しかし、それでも自分の意見が入れられない人々は、まさにその「自由」を主張して暴力に訴える。 あるいは、ロックの議論に対する指摘からも分かるように、デモクラシーが成り立つ端緒となった「革命」は、まさにテロリストが主張するものである。 「IDカードや生体認証装置を用いる身分証明システムは、リベラル・デモクラシー諸国の市民にとって急速に選択の余地のないものになりつつある。」 正確な標的の特定が可能になることによって、結果的に市民の自由の度合いが大きくなる。確かにそのとおり。僕も将来、この国よりも世界が「そう」なると思う。 ただ、これは議論する必要のないことなのだろうか?なんだか、ためにする議論になっていないだろうか・・・。
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