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新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか NHK出版新書

萱野稔人(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 NHK出版
発売年月日 2011/10/07
JAN 9784140883617

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか

¥110

商品レビュー

3.4

19件のお客様レビュー

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2018/10/30

ナショナリズム批判の限界 ナショナリズムとはどのような問題なのか? 国家をなくすことはできるか? 私たちはナショナリズムに何を負っているのか? 著者:萱野稔人(1970-、愛知県、哲学)

Posted by ブクログ

2017/05/13

もともと政治には興味がない。 右翼、左翼の意味も分からない。 韓国に対して、なぜ一部の人が噛みつくのか意味不明 とはいえ、さすがにいつまでも無視するわけには いかないだろうと、少しでも勉強しようと、なぜか この本を手に取った。 結論から言うと「予備知識無しでは意味不明」だった...

もともと政治には興味がない。 右翼、左翼の意味も分からない。 韓国に対して、なぜ一部の人が噛みつくのか意味不明 とはいえ、さすがにいつまでも無視するわけには いかないだろうと、少しでも勉強しようと、なぜか この本を手に取った。 結論から言うと「予備知識無しでは意味不明」だった 最大の問題は、この本で語られる「ナショナリズム」 とは、何なのかがさっぱり分からなかったということだ。 著者にとっては明確に存在しているのは確かで、 「それ」に対して非常に攻撃的ではある。しかし 「何」に攻撃しているのか、予備知識がないと さっぱり分からない。 でも、困ったことに面白いのだ。 そういう困った本である メモ) ・自分たちの利権を奪う存在、日本の責任ばかりを  騒ぎ立て、保証金を奪う外国人というイメージ  若者の被害者意識がナショナリズムへ駆り立てる ・日本人というアイデンティティ。それだけで  自分が認められるという感覚。社会から除外された  存在でないという安心感。それに飛びつく ・日本の若者の右傾化。単純否定しても抑えれない  原因をおさえなければならない ・リベラル知識人は政治よりも道徳に重きを置いている  ただ他者を抑圧することはよくない、という理由で  ナショナリズムを否定している。分析していない ・言語の共通性がネーションの基盤 ・国家とは何か。国境をなくすことが本当によいのか  それは可能なのか。国家廃絶は国家反復につながる ・国家なき社会。強制的な権力はなくなるかもしれない  だが内面同質化の凄まじい圧力が生まれる  それは宗教に近いものがある。問題はそれを  受けいることができない人々だ。どうなるか ・いま、世界規模で世界を支配しているのは「資本g  主義」という装置だ。多国籍がこれに従う ・産業社会が人々の同質化を促す  様々な仕事へ移る(利益が得られる)  そのための技術を学ぶ(学校)  国の利益。軍隊も同じこと ・ ・

Posted by ブクログ

2016/09/16

フランス現代思想を参照しながら、日本におけるポストモダン思想の「反ナショナリズム」の議論の底の浅さを指摘しています。 著者はまず、反ナショナリズムを標榜しているはずの左派知識人が格差問題について積極的に発言をしていることに疑問を投げかけます。著者によれば、格差問題はどこまでもナ...

フランス現代思想を参照しながら、日本におけるポストモダン思想の「反ナショナリズム」の議論の底の浅さを指摘しています。 著者はまず、反ナショナリズムを標榜しているはずの左派知識人が格差問題について積極的に発言をしていることに疑問を投げかけます。著者によれば、格差問題はどこまでもナショナルな問題であり、ナショナリズムに依拠することなく格差問題に対する対応を政府に求めることは矛盾していると論じます。その上で、「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単一が一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」というゲルナーの定義に基づきながら、国民主権の達成へ向けてのプロセスをナショナリズムの歩みとして捉えなおそうとしています。 また本書の最後には、国民国家がファシズムへ向かわないようにするためには、ナショナリズムを否定するのではなく、国外市場の拡大を重視することで国内経済の脆弱化を招来するような経済政策を改め、国内経済を保全するというナショナルな経済政策こそが重要だという主張が示されています。以前から、保守系の知識人たちが「戦後民主主義」をこの国の「伝統」から放擲しようとしていることに疑問を感じており、たとえば大塚久雄の国民経済論を保守の立場から読みなおすような試みがあってもよいのではないかと思っていたので、著者の提言はうなずけるところがあると感じました。 ただ、ポストモダン左派の反ナショナリズムに対する批判には、わら人形を叩いているのではないかという気がしないでもありません。著者の論じているように、彼らが何をナショナリズムに負っているかということについて無自覚なのであれば当然批判されるべきでしょうが、それはむしろ「脱構築」とは何であったのかを忘却しているという点で、批判されるべきだと考えます。

Posted by ブクログ

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