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奇跡の生還へ導く人
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奇跡の生還へ導く人
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商品レビュー
3.3
14件のお客様レビュー
これは極限状態で起こる「もう一人いた気がする」「誰かが励ましてくれた気がする」という現象に関する本。心理学的な考え方で読むかオカルト的な考え方で読むかで感想がだいぶ変わりそうで面白い。
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「サードマン現象」、あくまで脳の機能や誤作動による現象と見るか、まだまだ解明されてない人間自身の秘めた能力によるものか、はたまた、3次元レベルでは解明されていない力が働いているのか。私としては、「不思議」さを、少なくとも脳に限られた現象だけとは思わない。それらはやっぱり、人類が今...
「サードマン現象」、あくまで脳の機能や誤作動による現象と見るか、まだまだ解明されてない人間自身の秘めた能力によるものか、はたまた、3次元レベルでは解明されていない力が働いているのか。私としては、「不思議」さを、少なくとも脳に限られた現象だけとは思わない。それらはやっぱり、人類が今現在、知ることができない領域の世界からの現象だと私は思う。 〈本から〉 「人は誰にでも慈悲深い存在が永久についていて、控えめな召使のように裏方で働いている時もあれば、身体に危険が迫った時など一時的にーあるいは子供の遊びのようにずっとー必要に応じて表に現れたりもする」ということだ。それ以外のときは、この慈悲深い存在は私たちの外ではなく、内にいる。それは生存のための大きな力であり、精神に隠された驚くべき能力であり、私たちの社会的ハードウェアの一部なのである。私はそれを「天使のスイッチ」と呼ぼう。 私たちはトレーニングによって脳波の働きを整える「ニューロフィードバック」のような方法によって、孤独な時や何らかの危機に遭った時に、サードマンを生み出す脳の領域を刺激して生存能力を高められるようになるかもしれない。 しかし、関係するのは脳だけだろうか。サードマンは、現象を体験した人に対し、思いやりや美徳、さらに人によっては偉大な力を持った見えない存在に接触したという鮮烈な思いを抱かせる。アコンカグアでサードマンに出会った医師でクライマーのポール・ファースは、サードマンに関する一般的な神経学説明を受け入れたとしても、やはり謎は残るという。 生物学的説明によって、恵み深い形而上的な要因の可能性が排除されるわけではない。「どのように」に対する説明が、「なぜ」に対する答えになるわけではない。これらの体験の生理学的仕組みがどうであれ、・・・・なぜこれらの慈悲深い幽霊が我々の知覚の周縁にある薄暗がりの世界を歩き回るのか、誰にも説明はできないだろう。 サードマンは何か途方もないものをあらわしている。サードマンがあらわれるのは、いつも、探検家、冒険家、生存者が目前の悲惨な状況を乗り越える瞬間である。サードマンは希望の媒介者である。その希望は、人間の性質の根本にある認識によってーすなわち、私たちは一人ではないという信念と理解によって達成されるのである。
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翻訳モノとは相性良くないけど、とても読みやすかった。訳をほめてるレビューがあったけど、確かにそうかも。雪山で孤立した体験を描いた以下の訳なんかブンガクっぽくて良い。 「すべてが白く、私の頭は何も読み取れない。すべてが白いのだから、何も入ってこない。 ... 何も入ってこなければ...
翻訳モノとは相性良くないけど、とても読みやすかった。訳をほめてるレビューがあったけど、確かにそうかも。雪山で孤立した体験を描いた以下の訳なんかブンガクっぽくて良い。 「すべてが白く、私の頭は何も読み取れない。すべてが白いのだから、何も入ってこない。 ... 何も入ってこなければ、すべて自分から出て行ってしまう。」 本自体は大変興味深くおもしろく読んだ。ただ、同じような窮地に陥ったサードマン遭遇事例がいくつも紹介されていて、読み応えはあるけど食傷気味な部分がなくはない。文中の事例は欧米人ばかりで、宗教、文化的な背景によってサードマンの姿は異なる気もする。そんな中でシャクルトンの体験談は歴史的な生還譚のようだけど、確かにものすごい。軽く5回は死ねると思った。 絶体絶命の極限状態に陥ったとき、果たして自分にもサードマンは現れるだろうか? 現れない気がする。「苦難のあいだも最後には救われると信じる人の方が、救済者をよく体験する」そうだけど、あきらめそうな気がする。サードマン現象を体験しやすい心理的要素として挙げられている「経験への開放性」と「没入性」とやらも自分には弱いと思う。わりと閉鎖的で飽きっぽいと思う。催眠術にかかりやすいとか霊感が強いということもないし。誰かを助けたり、助けられたりっていう人生経験の有無も大きいかもしれない。窮地になるとその時の経験がサードマン現象としてポジティブに働くのではないか? サードマンは生還へと導く、ポジティブに働くものなんだろうけど、常に生還へと導くものなんだろうか?死に導いたサードマンもいたのではないか?サードマンが死神だった可能性もあるのではないか?生還した人は生に導いたサードマンを語ることができる。しかし死んでしまったら、死に導いたサードマンを語る者はいないわけで。 電気ガス水道がない昔、死が身近だった昔、サードマンのような、神のような、妖怪のような、得体のしれない何かは多くの人にとって身近だったのだろうと思う。山のような、サードマン現象や宗教的神秘体験をしやすい場所は興味深い。修験道が山を聖地にするのもそういう理由かもしれない。宇宙を聖地とするような新宗教は既にあるだろうけど、人類が頻繁に宇宙に行くようになったら更に発展するのではないか。 サードマン現象を解明しようとするときに、脳科学の視点から考えるのは現代的に正しいし興味深い。しかし、面白味に欠ける気もする。宗教でもオカルトでもない他の視点はないものだろうか。まあオカルトでもいいんだけど、神秘の領域がこの世のどこかにあってほしい。ヒマラヤの雪男とかも、低酸素低温の単調な環境に長時間いたことによる幻視なんじゃないか?とか考え始めると世界がつまらなくなる。パイロットや宇宙飛行士がUFOを見た!とかいう話もあるけど、単調な環境に長時間いることによって「退屈の病理」的な状態に陥って見てしまうのかもしれない。UFOもUMAも幽霊も神も全部そういう説明がついてしまうとしたら残念な気持ちになる。
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