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日本国憲法の誕生
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日本国憲法の誕生
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とっても面白かった。憲法改正論議をするなら、こういう、しっかりした文献に根ざした本で制定過程を学んでからにするべきではとさえ思いました。どういう事実経緯をもって「押し付け」と呼んでるかなど。 商法学者だった松本烝治氏が憲法改正担当になった経緯も。松本氏の自信家のほどとか印象的で、...
とっても面白かった。憲法改正論議をするなら、こういう、しっかりした文献に根ざした本で制定過程を学んでからにするべきではとさえ思いました。どういう事実経緯をもって「押し付け」と呼んでるかなど。 商法学者だった松本烝治氏が憲法改正担当になった経緯も。松本氏の自信家のほどとか印象的で、八月革命説を唱えたときの宮沢氏の当時の立ち位置などもきょうみ深かったです。いろんな人のドラマがあって面白いんだなー。
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古関彰一『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫、2009年4月)税別1,300円 獨協大学法学部教授(憲法史)の古関彰一(1943-)による日本国憲法の制定過程論。 【構成】 序 01 さまざまな模索 02 民権思想の復権 03 国体護持の法学者たち――憲法問題調査委員会の人...
古関彰一『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫、2009年4月)税別1,300円 獨協大学法学部教授(憲法史)の古関彰一(1943-)による日本国憲法の制定過程論。 【構成】 序 01 さまざまな模索 02 民権思想の復権 03 国体護持の法学者たち――憲法問題調査委員会の人々 04 GHQの手で憲法を 05 GHQ案の起草 06 第二の「敗戦」 07 日本化への苦闘 08 米国政府対マッカーサー 09 帝国議会での修正 10 九条「芦田修正」の深層 11 憲法の普及者たち 12 逆コースの始まり 13 忘れられた「その後」 戦後史最大のエポックの一つである日本国憲法制定、その内容と過程が戦後政治の争点となり続けてきた。しかし、その実態を正確に把握している人は少ない。改憲派の人間はこの憲法が「押しつけ」であると主張しその正統性に対する疑義を唱える、護憲派はその理念と民主的な制定過程に注目して戦後民主主義の象徴とみなす。 本書は、そのような左右入り乱れた憲法論争を展開するにあたり、最も明快で重要な研究である。 佐々木、松本委員会と当時の日本法学界の最高峰の法学者を集めた改憲案はGHQ民政局にことごとく保守的と退けられて、マッカーサーの逆鱗触れる。結果、マッカーサーおよび民政局の方針は、日本の有識者の結論を否定した憲法内容の全面改定という内実と、ハーグ陸戦協定と極東委員会を意識した帝国憲法との形式上の継承を意識したGHQ草案が生まれる。 GHQ草案は結局のところ高野岩三郎を中心とした左派の憲法研究会の改憲案を参考にしながら、わずか2週間で作成された。筆者は、松本蒸治に仮託してGHQに対する日本政府の保守性を強調する。しかしながら、後の国民の休日についてのアンケートでも明らかになるように、国民は天皇を象徴化することは望んでも、近代日本政府が紡いできた天皇制を中心とした文化継続について否定はしなかった。 一方で、GHQはアメリカ国務省、ソ連・中国国民党も含む極東委員会からの憲法の民主的制定プレッシャーから常に議論をそらし続けた。マッカーサーの詭弁・強弁である・ 日本国憲法は、日本憲法学のアカデミズムの権威を全否定し、1946年1月の公職追放令で保守派の議員をことごとく追放し、1946年4月の戦後初の衆議院選挙を経て自由主義者・鳩山一郎率いる自由党が第一党をとった後で成立した。ただし、その鳩山一郎は公職追放にあう。 第一次吉田茂内閣は所詮巡り合わせの中での首班指名に過ぎない。 そして、その吉田茂は、国際情勢上飲まざるを得ないと知っていたし、天皇制を守るために戦争抛棄を定めた9条を丸呑みにする。 著者がどのような解釈・主張を繰り広げようと、日本国憲法が一般的な「民定憲法」とは一線を画するということは、本書が提示する制定過程を眺めれば明らかである。 護憲派・改憲派ともに(主張を受け入れるかどうかはともかく)一度は読んで、じっくり考えるチャンスを与えてくれる名著である。 そして、そのねじれを理性的に受け入れることこそが、戦後が戦後でなくなる一つのステップになると考える。
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学校で学ぶ敗戦から憲法誕生の流れは 1945年8月15日敗戦→1946年11月3日日本国憲法公布(明治帝誕生日)→1947年5月3日日本国憲法施行というふうに、機械的に憶える(決してこれに限った話ではないのだが)。 しかし、1889年に施行された明治憲法がその日まで有効であっ...
学校で学ぶ敗戦から憲法誕生の流れは 1945年8月15日敗戦→1946年11月3日日本国憲法公布(明治帝誕生日)→1947年5月3日日本国憲法施行というふうに、機械的に憶える(決してこれに限った話ではないのだが)。 しかし、1889年に施行された明治憲法がその日まで有効であったことを知る人は少ないのではないだろうか。 また、憲法の講義で必ず出てくる「八月革命説」という概念も、「ポツダム宣言を受諾することによって主権が国民に移り、明治憲法の改正規定に則って日本国憲法が制定された。」とする議論である。しかしながら話はそう簡単ではない。これはあくまでも法的断断絶性をもたせないがための概念であるし、マッカーサーも日本国憲法の正統性を持たせるために法的断絶性を嫌ったのである。 しかも、国民が主権にあるかどうかと言う事実も議会で喧々諤々の議論がなされた。敗戦で日本の官僚や議員が民主的見識を持ち得なかったというのは、考えてみれば当たり前である。 「押し付け憲法論」も、大雑把な議論である。もちろん法的正統性は、日本国憲法(改正憲法)の審議の時に民選議会であったと言うことからも言える。それ以外にも、マッカーサーは最初から「我々の考えた憲法草案をそのまま押し付けるのは、民心の離反につながる。」と危惧していた。最初は憲法改正について示唆をしたに留まった。 しかし最終的に日本の法務官僚や学者の明治憲法との代わり映えのしなさにしびれを切らしたマッカーサーが、「GHQ案」として憲法案を提出する。それを法務官僚や学者、議員が日本流に解釈し直したのが今の日本国憲法である。勿論日本流に直す際はGHQ案の精神が削がれないようにGHQ側も監視していたようである。 一概に押し付けられたのではない。そこにはドラマがあり、日本の学者・官僚・議員とGHQの間での闘争があったのである。今もなお議論され続けている日本の憲法解釈の原点も、このころから議論されていた。 高校の政経でもそれなりに時間を割いて、この事実を教えるべきではなかろうか。そうすれば憲法の本質を知らずに議論をすると言う事態も避けられると確信する。
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