1,800円以上の注文で送料無料

  • 新品
  • 書籍
  • 書籍

青い眼がほしい

トニ・モリスン(著者), 大社淑子(訳者)

お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する に追加 に追加する

¥2,136

獲得ポイント19P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 早川書房
発売年月日 1994/06/30
JAN 9784152078551

青い眼がほしい

¥2,136

商品レビュー

4

11件のお客様レビュー

レビューを投稿

2020/06/22

西加奈子さんがお好きな本として挙げていたので読んでみた。 主人公の少女だけでなく、周りを取り巻く身勝手な大人たちのルーツまでが丁寧に描かれている。 日本の片田舎で育った身としては、共感や気づきを得るには難しく遠い国の話としてしか理解できないけれど、何が美の概念を作るのか、また心身...

西加奈子さんがお好きな本として挙げていたので読んでみた。 主人公の少女だけでなく、周りを取り巻く身勝手な大人たちのルーツまでが丁寧に描かれている。 日本の片田舎で育った身としては、共感や気づきを得るには難しく遠い国の話としてしか理解できないけれど、何が美の概念を作るのか、また心身が崩壊するほど簡単に操作され得るのかは痛いほど伝わってくる。

Posted by ブクログ

2019/01/30

西加奈子さんがトニ・モリスンをベタ褒めしていたので。 題材が重い…というかどうしても嫌悪感を覚える。 まあ一旦そこは横に置いておいて… 白人に押し付けられた価値観の下 屈辱と劣等感を味わって生きる黒人社会。 その中で青い眼が欲しいと願う少女ピコーラ。 皆が可愛いと言う金髪碧眼...

西加奈子さんがトニ・モリスンをベタ褒めしていたので。 題材が重い…というかどうしても嫌悪感を覚える。 まあ一旦そこは横に置いておいて… 白人に押し付けられた価値観の下 屈辱と劣等感を味わって生きる黒人社会。 その中で青い眼が欲しいと願う少女ピコーラ。 皆が可愛いと言う金髪碧眼を破壊した少女クローディア。 著者はあとがきで自分の美しさを受け入れないことに対して 何かを言おうとしたと書いていた。 きっとクローディアがトニ・モリスンなのであろう。 社会の価値観に反撥し闘える女性。 1970年当時この考え方は黒人女性の啓蒙を後押しするものだったと思う。 それに対し押し付けられた価値観に甘んじている象徴のピコーラ。 だからって彼女に嫌悪感覚えるような悲劇をもたらすのはあんまりだわ!って正直最初は思った… とはいえ同胞に眼を覚ますように強く訴えるのには インパクトある内容が必要だったのかも。 つまりそこまで強く訴えなければ変えていけない世の中だったのかもしれないと 感想をまとめている時に思い当った。

Posted by ブクログ

2016/12/02

青い眼がほしい。 世の中がかわいい、とするもの。青い眼をした肌が白いベビードール。 それを素直にこれが正解だと鵜呑みにせずに、自分には理解できないが世間が「かわいい」とするその秘密を探りたいと人形をバラバラにする主人公の姿は、とても人間的で実直だ。 あの子がかわいいということ...

青い眼がほしい。 世の中がかわいい、とするもの。青い眼をした肌が白いベビードール。 それを素直にこれが正解だと鵜呑みにせずに、自分には理解できないが世間が「かわいい」とするその秘密を探りたいと人形をバラバラにする主人公の姿は、とても人間的で実直だ。 あの子がかわいいということが正しいとすれば、わたしは可愛くない。 どんなに努力しても絶対的に到達することができない、違う次元に立っていることを世の中がさも当たり前の事実として突きつけてくるような感覚。地獄だと思う。自尊心を踏みにじられる想いに口の中が苦くなる。みんなちがって、みんないいはずなのに。 彼女はなぜ、自分の持っている美しさがわからなかったのか。 根本的に自分を変えたいと、何の疑いもなく願ったのか。 黒人の少女が主人公の話で人種差別が多く描かれているが、お涙頂戴ではなくとにかく淡々と語られていることで、自分とは関係ない「ある黒人少女の可哀想な物語」ではなく、とても客観的に眺めることができた。余計な演出がないからこそ、じわじわと苦しさが残る。誰も極悪人ではなく普遍的であり、その状況に陥ったら自分がどの立場になり得ると思うと背筋が伸びる。 外国の作品は、日本語への訳に違和感を持ってしまいどうも入り込めないことが多いが、この本は、何度も読み返してしまうほど美しい表現が沢山あった。 丁寧に味わいながら読みたい本。 ———————————————————————  外に出ると、ピコーラは説明しがたい恥かしさが引いていくのを感じる。  たんぽぽ。たんぽぽに向かって愛情が矢のように飛びだしていく。しかし、たんぽぽは彼女のほうを見もせず、愛に報いてくれようともしない。彼女は考える。「たんぽぽは醜い。雑草なんだから」。その新発見に気を取られて、ピコーラは歩道の割れ目につまずく。怒りが心の中でうごめき、目をさます。それが口をあけ、口の熱い仔犬のように、恥にまみれた傷口を丹念になめてくれる。  怒りのほうがましだ。怒りには生きている感じがあるから。現実と存在感。価値の自覚。怒りは、すばらしい感情の湧出だ。彼女の思いは、ミスター・ヤコボウスキーの眼と、痰がからまった声に戻る。怒りは持続せず、仔犬はあまりにも簡単に満腹してしまう。のどの渇きはあまりにもあっけなく鎮まり、仔犬は眠る。すると、ふたたび恥かしさが湧き上がり、その泥で濁った小川が眼のなかに浸みこんでくる。涙が出ないようにするには、どうすればいいのだろう?

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品