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逆説の日本史(3) 平安建都と万葉集の謎-古代言霊編

井沢元彦(著者)

¥1,705

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館/
発売年月日 1995/06/01
JAN 9784093794145

逆説の日本史(3)

¥1,705

商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2022/01/29

称徳女帝と道鏡についての考察、平安建都の理由など、独自の視点で語られていてなるほどと思いながら読んだ。

Posted by ブクログ

2017/04/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

□本編で扱う人物・テーマ、そして印象に残った点は次のとおりである。 1.道鏡と称徳女帝 □明治から戦前頃まで、日本三大悪人のひとりとされた道鏡。その道鏡との姦通説が流布した称徳天皇(重祚前は孝謙天皇)。しかし、この二人の性的関係はあり得ないと井沢氏は指摘する。その理由は次のとおり。 ・女帝と道鏡が初めて出会ったのは762年。この時女帝は45歳、道鏡は55-60歳と既に高齢である。 ・性的関係があったのなら、道鏡は「破戒僧」として僧籍も剥奪されるはずだが、その事実はない。 □にもかかわらず、この二人が貶められることになった背景は、次のとおりである。 ・藤原仲麻呂が計画した新羅征討計画を阻止した(もし、日本が新羅征討に成功したとしても、次に唐との全面戦争になるのは必至であり、日本の敗戦は避けられない。つまり、二人は日本を亡国の危機から救ったのである)。仲麻呂は、軍事力をもって政権を奪取しようとし恵美押勝の乱(764)を起こすが、これも鎮圧される。 ・歴代のどの天皇もなし得なかった、天皇制の大胆な変革を試みた。つまり、血統ではなく、中国のように徳のある人間(=道鏡)を「皇帝」に据えることで、国家の安定に繋げようとした。 ・律令国家の基盤を崩す一方で、藤原氏の勢力拡張の要因となったのが、実質的に藤原氏が制度化した「墾田永世私財法」と「公廨稲」の制度。称徳女帝と道鏡はこれに対抗し、律令制を守るための画期的政策を行った。つまり、ここでも藤原氏の横暴と対決したのである。 ・称徳女帝の崩御をもって「天武天皇系」の皇統が断絶して「天智天皇系」の皇統が復活した。天智天皇系の皇位継承を正当化するために女帝と道鏡を不当に貶める必要があった。 □結局、宇佐八幡宮信託事件の本質は、今後の日本のあり方についてのイデオロギー論争であったのだ。称徳女帝・道鏡側は敗者となった。これにより、血筋に基づく日本の天皇制のあり方(万世一系)が確立するとともに、律令国家の寄生虫「藤原氏」の原理が確立するのである。 2.桓武天皇と平安京 □「なぜ、桓武天皇は平城京を捨てて平安京に遷都したのか」。「奈良の仏教勢力の影響を脱するため」という教科書に書かれた理由は不十分である。この遷都には、日本史を理解するうえでの重要な理由が隠されている。それは次のとおり。 ・大仏を擁した平城京の仏教が、鎮護国家の観点から何の役にも立たなかった。 ・天武(新羅)系天皇(称徳天皇)から天智(百済)系天皇(光仁天皇)へと「王朝が交代」した。 ・藤原種継事件に連座して廃された早良親王を筆頭とする、諸々の怨霊(祟り)が生じた。 ・怨霊の祟りを防御するために、陰陽術を採り入れて計画する必要があった。ちなみに、桓武天皇が平安京に移ったのは794年10月22日。この日は、陰陽道でいう「革命」の時にあたる。 ・奈良仏教に代わって、密教が優遇された。それはそれが加持祈祷を中心とした呪術的色彩が強かったから。 3.万葉集と言霊 □万葉集は、600年代中頃から700年代中頃までに作られた4500首余りを収録する歌集である。これを最終的に纏め上げたのは、大伴家持(718-785)であるといわれる。家持は、桓武天皇の皇太子早良親王の春宮大夫。家持は、早良皇太子反逆事件の首謀者として、桓武によって早良と共に極刑に処せられた「犯罪者」なのである。従って、「万葉集」が世に出たのは、最終的撰者の家持が、桓武天皇の遺言によって罪を許された806年以降(平城天皇の時代)と考えるのが自然である。古今和歌集の序文にも「古につたはるうちにも、平城の御時よりぞ広まりにける」とある。 □万葉集の代表的歌人の一人、柿本人麻呂について、正三位という身分にもかかわらず正史に記載されていない。この点について梅原猛氏は、正史には「柿本猨(サル)」と記載されているからだとする。彼が持統・文武朝のもとで失脚し、最終的に石見国に流され、水死刑(自殺刑)に処せられる。彼が非業の死を遂げたことによって後世、「歌聖」と称されるようになり「人麻呂」と呼ばれたとする。 □梅原氏は、人麻呂と三十六歌仙の猿丸大夫は同一人物であった可能性を指摘している。

Posted by ブクログ

2016/12/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

1995年刊行。  著者の言い分をそのまま是としたとしても、平安貴族だけに通用していたにすぎない平和観を、当時の日本全体あるいは現代日本に拡張解釈しつつ、現代日本を批判的に論じるのはあまり説得力があるとは思えないが、本筋とは関係のないその点は置くとしても、死が怨霊を生む点、怨霊回避の要請としての出家、懲服としての宗教とその施設の言及は興味深い。ただ、これも先行研究がありそうだ。

Posted by ブクログ

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