- 中古
- 書籍
- 書籍
吃音 伝えられないもどかしさ
定価 ¥1,650
¥385 定価より1,265円(76%)おトク
獲得ポイント3P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2019/01/31 |
JAN | 9784103522614 |
- 書籍
- 書籍
吃音
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
吃音
¥385
在庫なし
商品レビュー
4.3
29件のお客様レビュー
星10個つけたい本!! 私自身吃音に長年の悩まされて、 学校での発表、友達や先生と話すときの焦り、うまく喋れないときの周囲の反応への恐怖など、常に感じながら大人になった。 だから自然と無口になり、他の人の顔色を必要以上に気にするようになった。 周りの人はなんで普通に話せるのに、...
星10個つけたい本!! 私自身吃音に長年の悩まされて、 学校での発表、友達や先生と話すときの焦り、うまく喋れないときの周囲の反応への恐怖など、常に感じながら大人になった。 だから自然と無口になり、他の人の顔色を必要以上に気にするようになった。 周りの人はなんで普通に話せるのに、自分にはできないんだろう? 自分がもし、普通に話せるようになったらどんなに楽しい人生なんだろう?と考えたりした。 著者の近藤さんも吃音に悩んでおり、同様の障害を抱える人への丁寧な取材のおかげで、本書にはたくさんの当事者が登場します。 各エピソードは当事者苦悩や葛藤をリアルに伝えてくれるし、吃音とその周辺の問題について、とても分かりやすく過不足なく伝えてくれる近藤さんの文章も素晴らしい。 自分のことを思い返すと、 言葉やコミュニケーションについて、たぶん吃音のおかげで他の人より悩んできた。 言葉やコミュニケーションを武器に仕事をする「教師」という職業を選んだのも、もしかしたら吃音の存在があったからなのかも、と考えたりもします。
Posted by
大事なことは相手を理解しようとする姿勢。 吃音が個性と捉えるか否かは、本人の気持ち次第。周りが決めることではない。 吃音であることは恥ずかしいこと、馬鹿にされることだと、大人が保険のためによかれと思ってあらかじめ本人の意識に植え付けることはときに本人を苦しめる原因となる。 吃音を...
大事なことは相手を理解しようとする姿勢。 吃音が個性と捉えるか否かは、本人の気持ち次第。周りが決めることではない。 吃音であることは恥ずかしいこと、馬鹿にされることだと、大人が保険のためによかれと思ってあらかじめ本人の意識に植え付けることはときに本人を苦しめる原因となる。 吃音を理解しようと思って読みました。とても読みやすかったです。
Posted by
吃音、つまり「どもり」という症状を抱えた人たち。 吃音と言っても色々ある。同じ音を繰り返してしまう「連発」、音を伸ばしてしまう「伸発」、出だしの音が言えない「難発」。 昔から一定数の吃音の人たちがいるが、なぜ吃音が起きるのか、先天的なものなのかどうかなど詳しくはわかっていない。...
吃音、つまり「どもり」という症状を抱えた人たち。 吃音と言っても色々ある。同じ音を繰り返してしまう「連発」、音を伸ばしてしまう「伸発」、出だしの音が言えない「難発」。 昔から一定数の吃音の人たちがいるが、なぜ吃音が起きるのか、先天的なものなのかどうかなど詳しくはわかっていない。年齢とともに吃らなくなる人もいるが、全く解消されない、逆に進行してしまう人もいる。そもそも原因がわかっていないし、決定的な回復法というものも確立されていないのだ。 冒頭に登場する吃音を抱えた高橋さんは、若い頃に吃音に悩み、学校でもいじめを受け、苦しんだ末にマンションから飛び降り自殺を試みる。本人の望みは叶わず、奇跡的に助かり、結果として吃音者として生き続けることになった。 その高橋さんが自殺未遂から二十年近く経って、NHKの「バリバラ」という障害者情報バラエティー番組に出演し吃音者の社会における現実を語った。 それを見た筆者自身も大学を卒業して結婚する頃まで吃音を抱えていた。筆者の吃音はその後解消されてしまうのだが、高橋さんが自殺しようとまで追い込まれた吃音を隠さずに、赤裸々に心情を吐露するところを見て、取材を始めるところから始まる。 高橋さん以外にも、さまざまな年代の吃音者や、その治療法を研究する人々、吃音のために会社や社会から疎外され、自殺をしてしまった肉親を持つ遺族、等々を追う。 吃音は当然目に見えない。当人が話すことを避ければ周囲からも気づかれない。ましてや原因もわかっておらず、日本ではかつては「どもりを真似する事で習慣化されたもの」と認識されていた時期もあり、訓練すれば治ると考えられていた経緯もあり、中々理解が進まないという状況にあるらしい。 自分の身の回りでも吃音を持つ人は数名いた。 彼や彼女がそれをどう思っていたかはわからない。 しかし、例えば電話がかかってきてもうまく受け答えができる自信がなく、しかし応対できなければ仕事としては失敗になるし、解雇されかねないという状態で、電話番を任されて、電話がいつなるだろうかと思いながらいるのはすごいストレスだろう。 流暢でなくてもいいから、自分が思うように自由に喋るという事が、こんなに苦しくて、それでも叶えてみたいという希望を持ちたい人たちがたくさんいるのだ。
Posted by