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没後20年 司馬遼太郎の言葉(3)
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没後20年 司馬遼太郎の言葉(3)
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相変らず「司馬遼太郎特集」が出ると、手にしている。 私のような読者が沢山いるから、死後20年にもなるのに、次々と特集が出るのだろう。それはそれで司馬ファンにとっては嬉しい限りである。 司馬の作品は若い時から既に150冊以上読んでいると思うが、未だに初めて見るものもあり、またこんな...
相変らず「司馬遼太郎特集」が出ると、手にしている。 私のような読者が沢山いるから、死後20年にもなるのに、次々と特集が出るのだろう。それはそれで司馬ファンにとっては嬉しい限りである。 司馬の作品は若い時から既に150冊以上読んでいると思うが、未だに初めて見るものもあり、またこんな事が書いてあったのかと、再認識することも度々あり、読書の楽しみに浸っていられる。 今回の特集は、以下の3部構成となっている。 ① NHKの大河ドラマを意識してか、真田一族関連 ② 街道をゆく「本郷界隈」から「漱石と鴎外」の関連 ③ 「三浦半島記」の世界 その中で、やはり②関連に興味がいく。 今年の2月7日のブログで書いた司馬の講演録の「漱石の悲しみ」を読む以前は、「坂の上の雲」に漱石は少し登場するだけで、司馬は漱石にはそんなに関心はないのだろうと思っていた。 ところが、司馬は「漱石のことが懐かしくてたまらない」とよく口にしていたようである。調べてみると、この言葉は「風塵抄」に掲載されていた。 (以下引用) どういうわけかちかごろ漱石のことが懐かしくてたまらない。 漱石は少年期にありがちなおおぼら(壮志といっていいが)のなかった人で、ただ漢文・漢詩を好み、その分野の塾に通っていて、子供ながら充足していた。 それじゃ時代に合わない、と人がいったのかどうか、大きらいだった英語の塾に転じた。結局、帝国大学文科大学で英文学をおさめた。在学中「方丈記」などを英訳するなど卓越した語学力を示し、卒業して英語を教える人になった。 終生、漱石は人生において場ちがいを感じていた。英文学を研究する自分に疑問を持ち、また漢文を通じて感得した“文学”と英文学の隔たりの大きさに愚直なほど悩 んだ。・・・略・・・明治30年、30歳の作とある。熊本五高教授のときの作である。 “スミレほどな小さき人に生まれたし” 私自身の思い入れのせいか、漱石の人と生涯と作品が、この一句でわかるような気がする。 句は現在の自分を否定している。しかし再構築が、否定の勢いにくらべてよわよわしく、そのためユーモアになりきれずに、つまり“お釣り”として悲しみが掌(てのひら)に残った。 文学の基本が人間本然の悲しみの表出であることは、言うまでもない。 また司馬は漱石の暗部については全く書かず、これは司馬の漱石に対する畏敬の念と愛情の現れかもしれない。
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