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キェルケゴールの日記
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キェルケゴールの日記
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キルケゴールの人生に少し共感できる部分がある。 「生まれながらにして反省の生だった」というのは私も同じで、生まれた時から私は罪人であった。私は自分の罪と神の存在は信じたが、神は私の罪を許してくれるだろうという神の寛大さまでは信じきることができていなかったのだ。 私もキルケゴールの...
キルケゴールの人生に少し共感できる部分がある。 「生まれながらにして反省の生だった」というのは私も同じで、生まれた時から私は罪人であった。私は自分の罪と神の存在は信じたが、神は私の罪を許してくれるだろうという神の寛大さまでは信じきることができていなかったのだ。 私もキルケゴールのように閉じこもった生活を変えられるのだろうか。
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「死に至る病」「あれかこれか」「不安の概念」「キリスト教への修練」などの有名著者の膨大な日記は後世に読まれることを意識したキリスト教の案内書でもあった。彼が「私の死後日記を出版されることになれば、『士師記』というタイトルを!」と記しているらしい。キリスト教会(特にデンマーク国教会...
「死に至る病」「あれかこれか」「不安の概念」「キリスト教への修練」などの有名著者の膨大な日記は後世に読まれることを意識したキリスト教の案内書でもあった。彼が「私の死後日記を出版されることになれば、『士師記』というタイトルを!」と記しているらしい。キリスト教会(特にデンマーク国教会)への批判、深い思索に基づく書物の数々。著者がどのような人であったのか、キリスト教に縁がない人にも分りやすく恰好の入門書となった。彼を産んだ父親の罪意識、そして若い日の放蕩、レギーネとの婚約破棄、国教会への批判・・・。キェルケゴール的には信仰とは不合理な「客観的な根拠を欠く教えをあえて信じること」なのだ。牧師にならずに著述家になった背景は、彼があまりにも憂愁に苦しむ人間であるが故に牧師として信徒と関係を結ぶことが不可能、それゆえ結婚もできなかった!と明快な解説だ。
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