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満州事変はなぜ起きたのか 中公選書

筒井清忠(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 2015/08/07
JAN 9784121100221

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満州事変はなぜ起きたのか

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商品レビュー

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2023/12/29

筒井清忠氏は昭和史を塗り替える注目すべき論考をいくつも世に問うてきた。丸山眞男の日本ファシズム論への批判を皮切りに、二・二六事件が純真無垢な青年による無謀な暴発ではなく、緻密なプランを持ち成功の可能性も大いにあったクーデターであるとする新解釈(『 二・二六事件とその時代―昭和期日...

筒井清忠氏は昭和史を塗り替える注目すべき論考をいくつも世に問うてきた。丸山眞男の日本ファシズム論への批判を皮切りに、二・二六事件が純真無垢な青年による無謀な暴発ではなく、緻密なプランを持ち成功の可能性も大いにあったクーデターであるとする新解釈(『 二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造 (ちくま学芸文庫) 』)や、「軍部大臣現役武官制」が軍の政治介入の温床になったという神話の解体(『 昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像 』)など、いずれも手堅い実証に裏付けられたプロの歴史家の仕事だ。本書は対米戦争で破局に至るプロセスの起点として満州事変を捉えてその原因を探るものだが、氏の昭和史の総括とも言うべき力作だ。 満州事変(1931)は中国の度重なる条約違反への対抗措置という側面が強いが、中国からすればそもそも不平等条約を守る義務を感じていないのだから確信犯であり、発端は悪名高き「対華二十一箇条要求」(1915) である。ただ当時の国内世論の圧倒的多数が「断固要求貫徹」であったことを忘れるべきでない。最もリベラルと言われた朝日新聞や良識ある言論人と見られていた吉野作造も例外ではない。「英米本位の平和を排す」(1918)と豪語した近衛文麿は絶大な人気を博し、椅子を蹴って国際連盟を脱退(1933)した松岡外相は歓呼を持って迎えられた。大正期を境に政治は世論の動向を無視し得なくなっていたが、無謀な外交と軍部の台頭を許したポピュリズムの淵源は、皮肉にも大正デモクラシーにあったと筒井氏はみる。デモクラシーが踏みにじられて軍国主義に突き進んだのではなく、デモクラシーが軍国主義を煽ったのだ。 一方当時の中国の状況を見れば、軍閥割拠による事実上の無政府状態が続き、居留民への暴行・略奪が繰り返し行われており、事変を起こした日本にも少なからず理はあった。ワシントン会議(1921)の協調精神を自ら反故にするような排日移民法(1924)を制定したのもアメリカである。にもかかわらず、日本が国際的な孤立を深めていったのは、日本と米英との離反を企てた中国の巧みな外交もあるが、いかに国際世論を味方につけるかについて、プロパガンダも含めた組織だった戦略を欠いていたことが致命的だった。その情勢認識の甘さと外交センスのなさは否定しようもない。 要するに満州事変が起きたのは政治が国内世論に負けたからであり、軍事的に成功しながら政策として失敗したのは政治が国際世論に負けたからである。内外の世論、即ちメディアと大衆を統御することに失敗して最終的には破綻した。筒井氏の目は徹底的なリアリストの目だ。左右を問わず手垢にまみれた道義的批判に殆ど関心はなさそうだ。それはむしろ歴史を見る目を曇らせると考えているのだろう。果たして我々はこの失敗に学んだと言えるだろうか。

Posted by ブクログ

2022/07/31

タイトルから、「満州事変」が起きた数年前、たとえば張作霖爆殺事件あたりからの著述なのかなと思って読むと、著述は明治時代あたりから、中国との関係や国内政治、社会情勢などを踏まえながら、「満州事変」にいたる流れを整理したもの。 これを読むと、「満州事変」が起きたのは、むしろ必然の感...

タイトルから、「満州事変」が起きた数年前、たとえば張作霖爆殺事件あたりからの著述なのかなと思って読むと、著述は明治時代あたりから、中国との関係や国内政治、社会情勢などを踏まえながら、「満州事変」にいたる流れを整理したもの。 これを読むと、「満州事変」が起きたのは、むしろ必然の感じがしてしまうが、あくまでも「満州事変」が起きたという事実があったことをベースにそれにつながる歴史の流れを整理したということ。 つまり、さまざまな歴史の流れはあるわけで、満州事変のようなものが起きなかった、仮に起きたとしてもあそこまで拡大せずに終わった歴史の可能性は多いにあるわけだ。 それでも、やはりこのラインをおさえることはとても大事なことだと思った。 著者もいうように、太平洋戦争が起きたのは、かなりの部分日中戦争が起きたことに起因し、日中戦争が起きたのはかなりの部分満州事変が起きたことに起因する。 というわけで、満州事変がおきたのは、どの程度まで過去の経緯に起因するのだろうかという探求をしているわけだ。 この探求は、ミクロ的な分析から新たな新事実が浮かび上がったというようなものではなくて、基本的には日本の近代史を眺めれば、だれでも知っているような事実のつながりである。 一見、あまり難しくもなさそうであるが、著者によるとこれをしっかりとまとめないと先に進めない感じがしたテーマということ。 なるほど、それもわかる気がする。 相当、ミクロレベルでいろいろな事実の分析が進んだ時点で、もう一度、マクロレベルでなにがどう連鎖していくのか、と大きなつながりを構成し直すというのは、これはこれで大変なことなんだろう、と思った。

Posted by ブクログ

2019/02/17

満州事変が日中戦争、そして太平洋戦争を引き起こしたとは言えないが大きな要因の一つになっている。ではなぜ満州事変は起こったのか。 15年5月9日袁世凱は対華21カ条要求を受けいれた、この日は後に国恥記念日になっている。また五四運動という大規模な反日運動を引き起こした。日本国内でも...

満州事変が日中戦争、そして太平洋戦争を引き起こしたとは言えないが大きな要因の一つになっている。ではなぜ満州事変は起こったのか。 15年5月9日袁世凱は対華21カ条要求を受けいれた、この日は後に国恥記念日になっている。また五四運動という大規模な反日運動を引き起こした。日本国内でも吉野作造が「最小限度の要求」と読んだように議会や世論はこの要求を当然のものと見なしていた。ドイツから奪った山東省の権益や満州の権益のみならず調印時には中国に対する内政干渉とも言える第5条も戦勝国日本にとっては無理な要求とは映らなかったと言うことだ。 辛亥革命後の中国は南に孫文の革命派、北に安徽派、直隷派、奉天派などの軍閥が主導権争いをしておりこれらの勢力と日本軍は互いに利用しあう関係であった。例えば孫文も金銭援助の代わりに第5条に近い内容を受け入れる中日盟約を交わしている。 日中間の人的交流は拡大し満州在留日本人は1915年には10万人を超え、満州事変直前の1930年には23万人に増えていた。対華21カ条要求に反対する日貨排斥運動や五四運動など民族自決権に目覚めた中国の大衆運動と政府に対し対中強硬政策を要求する日本の世論は交流の増加とともに摩擦の増加も増えていた。 ワシントン会議で中国は21カ条の撤廃を目指したが米英はまだ日本に配慮しており、アメリカが排日土地法を成立させるなど日米間の関係は悪化していたが対中国ではまだ協力の余地はあった。しかし、中国の排外主義の高まりとともに各国の思惑がずれていく。 蔣介石は国共合作を果たし北伐による中国統一を目論む。この際日本は満州権益を守ることを優先し中国本土では中立、満蒙の張作霖は援助するという方針だった。しかし、済南事件で日中両軍が衝突した結果中国は列強を分断し日本を孤立させる方針に転換していく。 アメリカは元々親中的でワシントン条約の順守には消極的で不平等条約とはいえ中国の条約違反に寛容だった。イギリスはむしろ親日的だったが中国で頻発するデモや暴力事件に対し日本が軍事力を行使し治安を維持することを期待していた。この時まで幣原、重光の日中協調派はワシントン条約を尊重し内政干渉を避けていたが、イギリスの日本への不満がたまりまた国内では弱腰に対する国民の不満が膨らんだ。 河本大作による張作霖爆殺は満州権益に手を出そうとする奉天政府に対する実力行使だったが日本の孤立化をますます勧めた。排日運動により深刻な被害を満鉄関係者がうけ大量の失業者が生まれる。「満蒙は日本の生命線」と松岡洋右が流行らせた言葉は利権と失業対策であった満州の問題を日本の権益が「全満蒙をおおっていると」すり替え、関東軍がこの松岡的理論を取ることにより日本の国際的な立場は弱まった。 最終的には関東軍が暴走するのであるが、その背景にあるのは対外的にはイギリスを味方に引き止められなかった外交力の弱さであり、国内では対外強硬的な世論が軍部を後押しするのを止められなかったことだ。国際的な孤立、好戦的な国内世論そして暴発する一部の軍人、満州事変から日中戦争への道筋が作られていった。

Posted by ブクログ

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