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民主主義の本質と価値 他一篇 岩波文庫

ハンス・ケルゼン(著者), 長尾龍一(訳者), 植田俊太郎(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2015/01/19
JAN 9784003900017

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民主主義の本質と価値 他一篇

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商品レビュー

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2023/12/29

あらゆる思想はそれが「主義」に淫する時、論理が現実から遊離して自壊する。いかに高潔な理想に導かれたものであってもだ。反発はあるだろうが敢えて言おう。ケルゼンの純粋法学が学としての純粋性を守ろうとして現実との接点を見失ったように、その民主主義論も価値相対主義の呪縛に飲み込まれた。 ...

あらゆる思想はそれが「主義」に淫する時、論理が現実から遊離して自壊する。いかに高潔な理想に導かれたものであってもだ。反発はあるだろうが敢えて言おう。ケルゼンの純粋法学が学としての純粋性を守ろうとして現実との接点を見失ったように、その民主主義論も価値相対主義の呪縛に飲み込まれた。 民主主義にせよ自由主義にせよ、決して「それ自体として」価値があるのではない。当然ながらそこにはプラスとマイナスがあり、現実の状況次第でいつでも反対物に転化する。本書でケルゼンは民主主義の「それ自体としての」価値を極限まで追求した。一言で言えばそれは自己決定ということだ。 もちろんケルゼンはシュミットのように「代表」概念を媒介として治者と被治者の同一性をアクロバティックに仮構したりはしない。本書はそのようなシュミットの形而上学への批判として書かれたものだ。ケルゼンは現実の政治において完全な自己決定などあり得ないことを理解していた。だからこそ政党政治を評価し、妥協を模索するプロセスの中で、自己決定からの乖離を最小化しようとした。その限りで彼は現実を見据えていた。 ただ自己決定そのものを疑うことだけは決してなかった。それは価値相対主義への強固な信念から来る。価値に絶対的な基準がないからこそ自らが価値を選択すべきであると。この場合自己決定という決定のプロセスが全てであり、決定内容の是非を問う超越的な視点は持ち得ない。それはシュミット以上に決断主義的である。その論理的帰結として民主主義が民主主義の名のもとに自らを否定することも許容する。良く言えば知的誠実さの表れだが、厳しく言えば学者の自己陶酔に過ぎない。国民の拍手喝采のもとに政権の座についたヒトラーがワイマール憲法を事実上停止したのが1933年、「民主主義の擁護」が書かれた翌年というのはなんとも皮肉である。しかしケルゼンは戦後本書を改訂しなかった。 価値相対主義を基礎にしたケルゼンの法理論や政治哲学にイデオロギー批判の意義があることは認めよう。日本では訳者の長尾龍一氏がその観点からケルゼンの延命を図った第一人者である。しかしそれは批判すべきイデオロギーとの現実の対抗関係の中で、どれだけ実践的な意味を持つかによって真価が問われる。イデオロギーが相対的なものであるように、イデオロギー批判も相対的であることを免れない。 公平を期すために付言しておくが、政治「哲学」としてではなく、政治「社会学」として本書を読めば、現代の政治状況に照らしても貴重な示唆が含まれることは確かだ。例えば比例代表制による小党分立は決して弊害なのではなく、小異を捨てて大同につく妥協を促すものとしてむしろ利点であるとケルゼンは説く。どこかの国で現実を無視した周回遅れの二大政党制を煽った政治学者に聞かせてやりたいものだ。

Posted by ブクログ

2022/04/10

ワイマールドイツの法学者。議会制民主主義を擁護し、カール・シュミットらを批判する。「現代議会主義の精神史的状況」と合わせて読みたい。 ①②自由(ルソー社会契約論を引用)/国民(創造の共同体など?) 支配からの自由(無政府的)が人間の根源的欲求ではあるが、社会秩序形成においては現...

ワイマールドイツの法学者。議会制民主主義を擁護し、カール・シュミットらを批判する。「現代議会主義の精神史的状況」と合わせて読みたい。 ①②自由(ルソー社会契約論を引用)/国民(創造の共同体など?) 支配からの自由(無政府的)が人間の根源的欲求ではあるが、社会秩序形成においては現実的でなく、万人一致の集団的自律へと変遷する。ただそれも現実的でなく、可能な限り多くの人の自由を尊重する多数決(=民主制)が正当化される。擬制である国民は社会集団を統合する束である。すなわち現実問題として国民は実際には政党・職能集団に分化し、自由の範囲も有権者の枠内にまで縮小されている。 ③④⑤議会 自由という民主制の要請と分業原理の妥協。合議制は進んだ社会では必須のもので、国民意志そのものではないが、社会技術的手段として正当化されるべきと述べている。改革としては国民投票、免責特権廃止、議員無答責廃止(国民からの疎遠性)、職能議会((専門知識)→筆者は議会の下位互換と一蹴)がある。 ⑥多数決原理 国民意志を議会に反映し、多数派と少数派で分けるこの原理は平和的妥協を導く。社会意志形成において共通基盤のもと相互了解のもとで決定に服従する(法の支配)のは漸進的ではあるがマルクス主義と異なり利害調整できる。比例代表制が望ましい。 ⑦民主主義的な立法を行政の枝葉末節に行き渡らせるには、執行部分は民主主義的になってはならない。そのため官僚制という合理的組織は民主主義とセットなのだという。 ⑧統治者の選択 民主制は統治者の不在だからこそ、統治者の選定が鍵となる。権力分立の傾向もある(米国=民主皇帝制)が、それはとどのつまり統治者を複数選んでいるということである。そこでは専制国と違って統治者の責任や交替が存在し、広い基盤において選定を進めるということだ。そのためには教育が必要だが、プロレタリアはその準備ができてないので成功しないだろうといっている。 「被治者の団体から複数の統治者を選ぶ独自の方法」 ⑨形式的民主主義と社会的民主主義 社会主義において本来は民主主義によって(圧倒的多数の労働者の支持を得て)経済平等が実現するはずなのに理論が破綻したという現実において、独裁制を指向する。 ⑩民主主義と世界観 民主主義は国家形式を決めるもので中身を決めるものではない。民主主義を正当化する根拠に「国民が絶対的な真善美がわかるから」というものがあるが、それは絶対的権威が存在することを前提としているからで、政治的相対主義に立った上で粘り強く妥協していくことが求められていると語る。 民主主義の擁護 絶対的価値観を持つプロレタリアとブルジョアに攻撃されながら民主主義は没落を始めるが、その自殺行為を容認する悲痛な文章。 前提知識が圧倒的に足りてなかったので苦労した。特に前半はルソーが分かっていればよかったと思う。議会制民主主義者の肯定側の主張なので反対派を読まないと何とも言えないが、民衆が本当に自由を求めているのか、国家において国民としての一体感がないところ(対話不能)はどうなるのか、一般的に民主主義と立憲主義は対立するものだが、民主主義の中に少数者保護が内在しているという考え方だと憲法の捉え方も変わってくるのか、など疑問はつきない。一通り勉強した後に再度読むと文脈が理解できそう

Posted by ブクログ

2020/11/14

アメリカ大統領選挙や大阪都構想住民投票など何かと分断が話題になるが、今一度民主主義というものを根本から考えてみるために読んでみるのが良い。

Posted by ブクログ

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