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幕末から維新へ
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幕末から維新へ
¥220
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商品レビュー
3.7
10件のお客様レビュー
タイトル通り…というよりは幕末前夜を中心に書いた本かと思います。 やはりというか幕末の動乱はいきなり始まったものではなく、ペリー以前の外国船の来航、飢饉などの天災、経済的な危機が高まった結果発生したということがわかりました。
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同じ岩波新書のシリーズ日本近現代史①は『幕末・維新』(井上勝生)となっており、題名がソックリである。本書の方が10年ぐらい後に刊行されているので、著者や編集者が意図して命名したのは明白である。また、内容的にも後半100ページ程はペリー以降の記述なのでかなり重複している(総じて、両...
同じ岩波新書のシリーズ日本近現代史①は『幕末・維新』(井上勝生)となっており、題名がソックリである。本書の方が10年ぐらい後に刊行されているので、著者や編集者が意図して命名したのは明白である。また、内容的にも後半100ページ程はペリー以降の記述なのでかなり重複している(総じて、両者共民衆史研究に依拠しているように思えるが、藤田氏は天皇に肯定的、井上氏は天皇に否定的という違いがあるように思える)。これは維新変革の起点を18世紀末に設定する著者のスタンスの表れであり、良くも悪くもシリーズ日本近世史とシリーズ日本近現代史が繋がり・重なっている効果がある。 確かに「尊皇」「攘夷」の起点を本居宣長・光格天皇・松平定信・ラクスマン等々に求めれば、著者のスタンスには説得力がある。しかしながら、これが世間一般に認められているかというとそうでもない(ちなみに戦後しばらくは近代のスタートはペリー来航ではなく、天保の改革であったらしい)。なぜ、維新変革のスタートはベリー来航という認識が一般化しているのだろうか?ここには薩長史観が大きく関係しているように思えてならない。という意味において、藤田・井上両氏の著作は薩長史観に物申す、岩波の矜持の表れなのかもしれない。両著をセットで読む事により幕末と維新の見方が変わる事は間違いないので、シリーズ違いではあるが(違いであるからこそ?)、両読する事を薦める。
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秩序が失われた時、それは変革のチャンスだが、あまりにリスクが大きい。一度過激化した集団を慰撫する困難。常に歴史は安定と変革の繰り返しなのだろうが、まだまだ私たちは歴史に学び切れていないと思う。 ちなみにこれで古代から現代まで岩波新書で通読した。切り口、ダイナミズム、視点、様々な...
秩序が失われた時、それは変革のチャンスだが、あまりにリスクが大きい。一度過激化した集団を慰撫する困難。常に歴史は安定と変革の繰り返しなのだろうが、まだまだ私たちは歴史に学び切れていないと思う。 ちなみにこれで古代から現代まで岩波新書で通読した。切り口、ダイナミズム、視点、様々な学びがあったユニークなシリーズでした。
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