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日本語が亡びるとき 増補 英語の世紀の中で ちくま文庫

水村美苗(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2015/04/01
JAN 9784480432667

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日本語が亡びるとき 増補

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商品レビュー

3.5

30件のお客様レビュー

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2023/09/23

久しぶりに痺れる本に出会った。 著者の水村美苗は学者であり作家である。名門イェール大学・大学院でフランス文学を専攻し、アメリカの大学で日本近代文学を教えながら日本語で小説を書いた。本書の発刊は2008年。5年をかけて書き上げたことからも著者の情熱が伝わってくる。 書き出しは著者の...

久しぶりに痺れる本に出会った。 著者の水村美苗は学者であり作家である。名門イェール大学・大学院でフランス文学を専攻し、アメリカの大学で日本近代文学を教えながら日本語で小説を書いた。本書の発刊は2008年。5年をかけて書き上げたことからも著者の情熱が伝わってくる。 書き出しは著者の体験が小説のように綴られる。もうすでにこの文体が心地よい。しかし、そこからは緻密な調査と考察が積み重ねられ、一つの結論に向かっていく。それは「日本語は亡びうる」という結論である。 島国日本では連綿と日本語が使われてきた。それは時代に応じて変化はすれど、なくなるとは想像していない。しかし、日本語はなくなる可能性がある。 インターネットが出現して、英語一強の傾向が加速した。中国でも韓国でもアメリカの大学に行かせるのが流行っている。「もっと英語を」の声は日本でも高まり、小学校でも英語が必修になった。この流れに抗わなければ、日本語はなくなってしまう。 では、そのためにはどうすれば良いか。具体的には日本近代文学を読めと著者は言う。明治維新の後、欧米の書物を翻訳する中で、日本の書き言葉は昇華した。言葉と向き合い、日本と向き合い、日本人と向き合ったからこそ、明治・大正・昭和初期までの文学こそ読む価値がある。そこから日本語を守ることを考えよと著者は言うのだ。 結論までの道程では河合隼雄や坂口安吾を切りながら力強い論拠を積み上げていく。それは学者・水村美苗の明晰な頭脳を示している。 小説家であり学者でもある著者の力を存分に発揮した本書。著者の筆力に痺れる一書であった。

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2023/03/21

言葉とは思考であり、文化であり、歴史であり、国の存在そのものである。個人的には英語は話せるようになりたいが、国語教育が蔑ろにされるのはやめてほしい。以前、山田詠美だったと思うが、教科書に自身の著作が載ることになったときに、教科書でしか読めない文豪の作品を載せるべきではないかと言っ...

言葉とは思考であり、文化であり、歴史であり、国の存在そのものである。個人的には英語は話せるようになりたいが、国語教育が蔑ろにされるのはやめてほしい。以前、山田詠美だったと思うが、教科書に自身の著作が載ることになったときに、教科書でしか読めない文豪の作品を載せるべきではないかと言っていたように記憶している。まさにその理由がここに書いてある。

Posted by ブクログ

2022/09/20

帰国子女ベストセラー作家が書いた愛国主義的な片手間エッセイだと本書のことを想像していた。 実際、執拗に長い前半部分の「若い頃体験記」は軽薄な印象で、本書を途中で投げ出す寸前にまで動揺した。 しかし中盤ぐらいからの言語学や、果ては文明論まで持ち出した考察は興味深い。 内容は、英語の...

帰国子女ベストセラー作家が書いた愛国主義的な片手間エッセイだと本書のことを想像していた。 実際、執拗に長い前半部分の「若い頃体験記」は軽薄な印象で、本書を途中で投げ出す寸前にまで動揺した。 しかし中盤ぐらいからの言語学や、果ては文明論まで持ち出した考察は興味深い。 内容は、英語の言語大流行によってもたらされる文化禍への警告である。英語ネイティブの無邪気、無自覚、無神経を非難する。 後半からはその考察をベースに日本近代文学論のようにもなっていき、漱石の『三四郎』を日本での先見性という一般的評価だけでなく、当時の世界での位置や「大学→翻訳→国語→日本近代文学」という歴史的シンクロとして解説する。本書の肝になっている論説として、英語という普遍語を母語としないが、英語が達者な二重言語者が近代文学または近代思想、あるいは国語を発見し、生み出したというのがある。これは著者にも当てはまることだが、さらに著者は女性であるということによって本書の興味深い考察が生まれたのではと考えられる。 増補ではサイエンスにとっての「国語」にまで言及。 本書で一番印象に残ったことばは「現在、〈叡知を求める人〉は日本文学だけ読まなくなった。日本文学は〈世界性〉に取り残された人たちのふきだまりになりうる」 「人にフッと言われた言葉」などその時は気にもとめない。しかし、認識というとのはしばしば途方もなく遅れてやって来る。「真理」を垣間見る機会を与えられても、思い込みによって見えない。何日、何年、何十年と時が熟し、その思い込みをようやく捨てることが出来た時、初めてその姿を表す。そして、その時人は、自分が本当は常にその「真理」を知っていたことさえも知るのである123 日本文学はれっきとした世界の文学の一片になっている。それは源氏物語などの他に近代文学をも持っているからだ。例えばその日本の近代文学の本質の一つは、日本語が「滅びる」(日本文化が滅びる)のを嘆くことが出来るだけの近代文学性(近代社会の歪みを「作品」にするだけの文化度)を持っていたという事実である(西洋以外の国ではそういう近代文学が無いらしい)。ブリタニカ百科事典には「日本文学」の項目で「世界のもっとも主要な文学の一つ」と載せられている128 名著『想像の共同体』を書いたベネディクトアンダーソンは多言語主義者で文化の多様性を重要視して評価されたが、彼自身が英語を母語とする人間であったため、数ある言語の中で英語が「普遍語」である暴力的事実についぞ気付かなかった。150 大衆消費社会の中で流行る文学は、確率的につまらない本が多い。それは普段本を読まない人が読む本であるし、ポップミュージックと同様、流行に敏感に反応するのを、まさに生物学的に宿命づけられている「若者」(流行に遅れてはツガイを見つけられない)のあいだで流行るからである。298 現在は知的な関心がある人ほど「今の日本の文学」だけは読まない。国語が生まれて百年以上が経ち「自分たちの言葉」だけで語れる日本の文学は、それで充足するようになり、「世界性」に注意を払わなくなった。ついには「世界性」から取り残された人たちの吹きだまりとなった。日本語で書かれた科学論文や歴史書や社会学の本は「世界性」があるのに、日本文学だけ無くなった。330

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