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特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録 ディスカヴァー携書129

特掃隊長(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売年月日 2014/09/18
JAN 9784799315705

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商品レビュー

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30件のお客様レビュー

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2024/02/22

特殊清掃などYouTubeでも見ることもあったが、内容的には様々な特殊清掃の様子ややりとりが描かれている。ただ、もう少しその請負った時の心情やその時の依頼した方達の事もしれた方が良かったかな? たくさんのパターンがあったけど、どれも淡白な内容だったので、奥深い部分も知りたかった。...

特殊清掃などYouTubeでも見ることもあったが、内容的には様々な特殊清掃の様子ややりとりが描かれている。ただ、もう少しその請負った時の心情やその時の依頼した方達の事もしれた方が良かったかな? たくさんのパターンがあったけど、どれも淡白な内容だったので、奥深い部分も知りたかった。 ただ、内容はとても読みやすかった!

Posted by ブクログ

2024/01/30

少なくとも私のまわりには映画『ヘドローバ』を観た人は私を除いていません。怪しげな新興宗教の信者に住まわせているアパートで自殺者が出るとそれを片付けるまさに特殊清掃人が描かれていました。誰にも薦めたくないほど不愉快極まりない作品で(すみません)、本作を読む前はあんな世界を想像してい...

少なくとも私のまわりには映画『ヘドローバ』を観た人は私を除いていません。怪しげな新興宗教の信者に住まわせているアパートで自殺者が出るとそれを片付けるまさに特殊清掃人が描かれていました。誰にも薦めたくないほど不愉快極まりない作品で(すみません)、本作を読む前はあんな世界を想像していました。 でもこの著者は亡くなった人に敬意を払っているのがわかります。凄絶な最期を迎えたであろう人の尊厳を守る。昨年観た香港映画『星くずの片隅で』の1シーンを思い出しました。 人はいつ死ぬかわからない。「ありがとう」の気持ちを大切に。 映画『ヘドローバ』→https://blog.goo.ne.jp/minoes3128/e/50b683d557d43f10c6aa2c2b7611ae7e 映画『星くずの片隅で』の感想はこちら→https://blog.goo.ne.jp/minoes3128/e/42f9cd139550bd03fedd17280ba1f450

Posted by ブクログ

2023/08/14

499 「他人の不幸を真に気の毒に思わず、他人の幸せを真に喜ばず」 それが、私の本性なのだ。   しかし、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとするような人間に憧れもある。ほんの少しでいい、死ぬまでにはそんな人間になってみたいと思う。   他人の痛みを自分の胸...

499 「他人の不幸を真に気の毒に思わず、他人の幸せを真に喜ばず」 それが、私の本性なのだ。   しかし、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとするような人間に憧れもある。ほんの少しでいい、死ぬまでにはそんな人間になってみたいと思う。   他人の痛みを自分の胸の痛みとする。 それが、人がきれいに生きるためのコツのように感じる。 故人の仕事は、建築工事関係の個人自営。 仕事ぶりは真面目だったものの、無類のギャンブル好きだった。 当初は小遣いの範囲で遊んでいたものが、収入が減るにつれて小さな借金を繰り返すようになる。 ある不動産管理会社から自殺腐乱現場の見積り依頼がきた。 場所は、一般には高級住宅街と言われる地域。 中年男性の首吊り自殺だった。自殺の理由は借金苦。 管理会社の担当者に聞くまでもなく、部屋に散乱していたクレジット会社や消費者金融からの請求書で、それは容易に察することができる。 自分は、目に見えるものばかりを追い求め、目に見えないものを 蔑ろにしていないか。 目に見えるものだけを信じて、目に見えないものを疑っていないか。 いつまでたっても何をやっても変われないのは、目に見えるものが自分に足りないせいだと思っていないか。 私は、愛する人を失った遺族が故人と別れる場面に何度となく立ち会ってきた。そして、多くの遺族が「ありがとう」と「ごめんなさい」と亡骸に言葉をかける姿を見てきた。 また、自分が最期のときを悟ったときに何を思うだろうかと想像すると、やはり感謝と謝罪の念……「ありがとう」と「ごめんなさい」が頭に浮かぶ。 その理由はよくわからないけれど、最期はそれに尽きるような気がしている。   しかし、臨終間際や相手が死んでしまってから気づいたのでは手遅れ。 やはり、お互いに生きているうちに、分かち合いたいもの。だから、勧めたい。 家族や身近な人に「ありがとう」「ごめんなさい」を言う勇気とプライドを持つことを。小さなことにもそう思える、謙虚な感受性を育むことを。 死体とは「将来の自分」であって、「自分がかならずそうなる」ものである。それがイヤだということは、じつは本当の意味で、「自分とまだ折り合いがついていない」人なのである。自分自身と折り合えなかったら、他人と本当には折り合えるはずもない。現代人とは、そういう人たちだから、じつははなはだ付き合いにくいのでる。

Posted by ブクログ

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