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精神を切る手術
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精神を切る手術
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商品レビュー
4.1
8件のお客様レビュー
知識が無いのに関わらずロボトミー=悪という単純な認識だったことをまず反省した。 有用性のためだけに科学を評価してはならない、 相互批判の保証を前提とし、科学者同士、科学と社会でお互いに批判しあい、それを乗り越えて行く必要がある。 これからのES細胞やiPS細胞、STAP細胞の研究...
知識が無いのに関わらずロボトミー=悪という単純な認識だったことをまず反省した。 有用性のためだけに科学を評価してはならない、 相互批判の保証を前提とし、科学者同士、科学と社会でお互いに批判しあい、それを乗り越えて行く必要がある。 これからのES細胞やiPS細胞、STAP細胞の研究にも当てはまるであろう。科学の視点と生命論理の視点、 社会の一員として、科学の発展を望み、有用性に希望を持ちつつも、厳しい社会の目として機能しなければならないと思う。
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脳への介入を取り上げていましたが、 医療行為や実験対象として人間にどこまでの介入が許されるのか? 前書に引続き学問とは?知的好奇心は無制限に満たされていって良いのか?という問いに対して、倫理面も含めてこれから考えて整備していかなければならない課題だと思いました。
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「科学と論理が互いに相反した時に、高次の部分で均衡を図ること(止揚)が可能と考えるか」あるいは「それは理想論に過ぎず、科学という便益によって論理がないがしろにされてはならないと考えるべきか」によって、この本から得られる印象がいくぶん異なるのではないと思います。 近代の科学技術...
「科学と論理が互いに相反した時に、高次の部分で均衡を図ること(止揚)が可能と考えるか」あるいは「それは理想論に過ぎず、科学という便益によって論理がないがしろにされてはならないと考えるべきか」によって、この本から得られる印象がいくぶん異なるのではないと思います。 近代の科学技術の発展は主に前者の可能性に重きをおているように思います。たとえば、脳の機能解析において、近年もちいられる脳の画像解析は直接メスを入れるわけではないため、非侵略的であり、高次均衡の可能性を示しているといえると思います。 しかしながら、私はこのような考えに対して、以下の立場から、疑問を感じるのです(私が近年の脳科学ブームに感じている違和感のきっかけともなっています)。 1. 科学技術の限界という立場から 画像解析は行動と脳の血流の相関関係を観測しているに過ぎず。そのようにして得られた命題は、事実を束ねたに過ぎず、いわゆる帰納的な解釈といえると思う。 そのようにして求められた命題が果たして脳の複雑な機能を示しているといえるのだろうか。 また、仮に脳の機能を解明するために、脳にメスや何からの電気刺激などの操作を行うことによって、一部の能力を一時的になり無効化や減退たらしめたとし、トライ・アンド・エラーのような形で検証することができたとしても、そこから得られた命題は脳の複雑な機能を示しているといえるのでしょうか。 2. 論理の面から 論理という垣根を超えてまで、社会の便益を優先させることが果たしてよいことといえるのでしょうか。 3. 最後に 私は、論理よりも全体の便益のほうが優先される社会が人間にとって幸せなことではないと考えます。二律背反に陥った時にどこかで立ち止まる必要性も考えるべきと思います。本書では脳科学を題材に取り上げていますが、これをもとに広義の科学者の論理について考えるきっかけになりました。
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