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はじめての言語ゲーム
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はじめての言語ゲーム
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商品レビュー
3.6
38件のお客様レビュー
ヴィトゲンシュタイン本。むずかしい・・ 前期:論理哲学論考→世界と言語は1対1に対応している。 ↓ 後期:言語ゲーム→「そうではないのかもしれない・・」 ある規則に従った、人々の振る舞いのことを言語ゲームと呼ぶ。 言語は私的ではなくパブリックであり、人々の間の振る舞いの一致を司...
ヴィトゲンシュタイン本。むずかしい・・ 前期:論理哲学論考→世界と言語は1対1に対応している。 ↓ 後期:言語ゲーム→「そうではないのかもしれない・・」 ある規則に従った、人々の振る舞いのことを言語ゲームと呼ぶ。 言語は私的ではなくパブリックであり、人々の間の振る舞いの一致を司る。 机を指さして、「これが机だ!(直示的定義)」と世界が決まっているわけではなく、 一定の特徴を持った群を「これを机と呼ぶことにしよう」として、そのように振る舞うこと。 その「環世界」を傍からみる、エイリアン的または幼い子供は、最初何をしているのか理解できない。 そのうちに、あぁ、彼らはあれをツクエと呼ぶのだな。その言語を発すると、そのように行動するのだ、などを理解し、同様にそのゲームに加わる、つまり環世界に参加する。 理解することと、記述されていることはイコールではない。これは草野球とプロ野球の違いのようなもので、明確なルールブックがない草野球にも当然にルールがある、から成立する。参加者はみなそのように振る舞い、そこからよりルールを明確にするためにルールブックが出来、プロ野球が生まれた。 「解釈」という不思議な行為。 例えば裁判などで法律を解釈するというシーンが有る。不思議な話で、人間が作った法律を人間が解釈するのだ。やはり変である。 解釈者は、何を拠り所に解釈をするのだろうか。これを特定の言語ゲームから外れて見ないといけないのではないだろうか。 言語ゲームに参加しながら、その言語を解釈すると言う矛盾は成立しない。仮にそうした場合、裁判における被告・原告・裁判官はすべてが異なる環世界に置いて、同時共有する法律をそれぞれの言語ゲームに則って解釈するということか。うーんすっきりしない。 逆スペクトルの懐疑 仏教 悟りがあるから、悟りを求めるのではなく、悟りを求めるから悟りが存在する。
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ウィトゲンシュタイン『言語ゲーム』の解説書 ウィトゲンシュタインのバックボーンから始まり、『論理哲学論考』にも触れている ウィトゲンシュタイン自体が難しいので当然解説書も難しい ウィトゲンシュタインが示そうとした試みについてはわかった(各論はわからなかったところ多し)
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ずいぶん「俗っぽい」雰囲気だなあ、と思いつつ読む。身も蓋もないというか、難解なウィトゲンシュタインをここまで噛み砕いて解説するとは、とその(著者らしいといえば著者らしい)知的な野蛮さに呆れるやら感心するやら。だが、ここで開陳される私たちがどうしたって外に出られやしない「言語ゲーム...
ずいぶん「俗っぽい」雰囲気だなあ、と思いつつ読む。身も蓋もないというか、難解なウィトゲンシュタインをここまで噛み砕いて解説するとは、とその(著者らしいといえば著者らしい)知的な野蛮さに呆れるやら感心するやら。だが、ここで開陳される私たちがどうしたって外に出られやしない「言語ゲーム」の本質は、この本が指し示した地平を更に超えてもはや個々人が自分自身の閉じた「言語ゲーム」の中を生きている時代だからこそ、ある種の苦味とともに読み返して肝に銘じなければならないのかもしれない。「哲学」したい人にはうってつけの一冊だ
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