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物語論で読む村上春樹と宮崎駿 構造しかない日本 角川oneテーマ21

大塚英志【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 角川書店/角川グループパブリッシング
発売年月日 2009/07/13
JAN 9784047101999

物語論で読む村上春樹と宮崎駿

¥330

商品レビュー

2.9

14件のお客様レビュー

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2022/06/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

村上春樹作品は少し読みましたし、宮崎駿作品はほぼ観ているけれど、どちらも「自己実現するのは女の子」という共通点があるのにはびっくり。確かにジブリ作品は女の子が主人公の作品多いなとおもってたけど言われてみれば。。 宮崎駿作品の中で個人的に1番意味がわかってない『崖の上のポニョ』、もう一度観てみようかなと思いました。 村上春樹作品は、小説じゃないインタビュー集の「アンダーグラウンド」が面白かったんだけれど、「誰か他の人の物語を自分のものとして受け入れてないか?」はゾッとしました。人によってそれが毒になるか薬になるかわからないしどちらにも出来るだろうけど、気付かないうちに麻原の物語みたいなのを受け入れてないかは気を付けよう。村上春樹さんが「オウムの在り方は自分の合わせ鏡的な像」と見えたかどうか…これは怖いです。 スター・ウォーズは観ていないので当てはまるかどうかがピンとこないのですが、昨今人気のMARVEL系もそんな印象です。アメコミヒーローものはそうだと思っている。

Posted by ブクログ

2019/02/08

何だか、村上、宮崎、中上、十ぱ一からげにぼろくそに言ってるように見えるけれども、そうだろうか。結構いいところをついているし、逆の期待感の表明みたいな万尾が、ナイーブに感じられて、ぼくは面白かった。偶然、三人が三人とも、ぼくの好きな人たちなんだけど。大塚君はここから、ポストモダンの...

何だか、村上、宮崎、中上、十ぱ一からげにぼろくそに言ってるように見えるけれども、そうだろうか。結構いいところをついているし、逆の期待感の表明みたいな万尾が、ナイーブに感じられて、ぼくは面白かった。偶然、三人が三人とも、ぼくの好きな人たちなんだけど。大塚君はここから、ポストモダンの反対、近代の見直しに向かうようで、それもいいと思った。

Posted by ブクログ

2017/10/23

村上春樹が構造しか持たない小説を書いているという側面は無意識に認識していても改めてそうであると思い当たるまでにはかなりの熟読を要すると思う。というのは物語を受け取る私たちの想像力がいささか影響を及ぼし過ぎていることにあるだろう。例えば『海辺のカフカ』の少年カフカの物語は突然の家出...

村上春樹が構造しか持たない小説を書いているという側面は無意識に認識していても改めてそうであると思い当たるまでにはかなりの熟読を要すると思う。というのは物語を受け取る私たちの想像力がいささか影響を及ぼし過ぎていることにあるだろう。例えば『海辺のカフカ』の少年カフカの物語は突然の家出に始まるやいなや大島さんや佐伯さんなどのキーパーソンに唐突に出会い、半ば振り回されるように進み続ける。そこには主人公の父母という存在への追求はあっても自己実現は存在しない。私たちがカフカ少年に感情移入をするとなれば自然に想像力を動員することが必要となる。骨組みに肉付けを行わないと空疎になるのと同じように、私たちの想像力がなければ村上の小説が無感情で空疎になるという見方もあり得るのだ。もっとも、想像力がなければ小説全般を楽しむことができないのは当たり前のことであるが、ここで言うそれはそういう意味でのものではない。問題は村上春の小説の場合、構造が安定し過ぎているせいで私たちがどのような想像をしてもなんの齟齬もなく物語が進んでいくことにある。物語より想像力が先行するといよいよ物語は小説の領域を超越してしまうから、構造どうこうの話は置き去りにされてしまうのである。村上は物語を神話で構成するから、構造が安定する。大塚は村上が物語メーカーである所以はここにあると主張している。宮崎アニメも同様に神話を取り入れているから一定のメッセージを付与することができている。構造は構造でしかない。それは救いであり欠点であるが、小説や映画の場合はそれだけではいけない。だから独自にメタファーを多重化したり、歴史を物語化したり、抑圧からの脱出を試みたりする。例えば大塚によれば村上の『ねじまき鳥クロニクル』はノモンハン事件をもとに作られた物語を一つの要素として取り入れているがそれが当時流行していた歴史修正主義と似た構造を持っているせいで危険を伴っているという。これは小説の世界としての村上春樹とは反対に現実世界での麻原彰晃がクロニクルを作ったことによってもたらされた新しい虚構によって大衆が扇動されてしまったことが物語っている。それ以降村上が歴史修正主義を匂わせるレベルでの歴史物語は作らなくなったことや、村上が現実世界で自分の鏡面を見て思わず目を反らせたことから村上のそれはリスクを含んでいることが分かる。これは歴史修正主義が問題だということではなく、そのような誤解や思わせぶりを生んでしまう極端な物語の構造化にあるのだろう。私は村上春樹の大ファンだしそれをやめるつもりもないけれど、この書籍ではある観点ではそういう見方ができるのだという程度に受け止めようと思う。最後に逃げるような記述をするのはちょっと嫌だけど事実は事実。結局小説は小説、現実は現実としか言いようのない事実に回帰する他ないのだと思う。

Posted by ブクログ

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