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街道をゆく 新装版(6)
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街道をゆく 新装版(6)
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商品レビュー
3.9
11件のお客様レビュー
以下抜粋 ・「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。 ・竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がい...
以下抜粋 ・「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。 ・竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。 ・床の間はいうまでもなく室町文化の所産である。 室町というのは乱世だが、しかし生活文化からいえばこんにちの日本の文化からいえばこんにちの日本の伝統芸能や生活文化の源流のほとんどが室町期に発している。 食事が日に二度から三度になったのも室町末期からだし、茶道、いけ花、能狂言や謡、歌舞伎、行儀作法から結婚式のしきたりにいたるまでがそうで、われわれがごく日常のものとして馴れっこになっている生活文化の光源は室町に発し、いわば室町文化を灯台としていまもそのひかりを浴びつづけているのである。 ・日本の原始神道の斎主が女であったように、沖縄においてもそうで、神の前では女がより神に近く、男はより遠い。 ・真の信仰とは事実を信じることではなく虚構を信ずることによって真実に入りうるのだという意味のことを親鸞はその語録の「歎異抄」でいっているのである。
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朝日文芸文庫 司馬遼太郎 街道をゆく 「沖縄 先島への道」 重厚な紀行文。面白い。琉球文化の深さなのか、著者のような識者が掘れば掘るほど 面白さが出てくる感じ 著者の目線は 近代の超克 沖縄史を研究し、足を運び 現地の人と話しながら、国家を超えるものを探しているように...
朝日文芸文庫 司馬遼太郎 街道をゆく 「沖縄 先島への道」 重厚な紀行文。面白い。琉球文化の深さなのか、著者のような識者が掘れば掘るほど 面白さが出てくる感じ 著者の目線は 近代の超克 沖縄史を研究し、足を運び 現地の人と話しながら、国家を超えるものを探しているように思う 明快な結論はないが「倭人」という言葉を近代超克のヒントにしている *倭人=日本という国家の規制を受けず、村落共同体に生きる人 *国家ではなく、村落共同体で人を捉えるという意味だと思う 沖縄に行くなら 沖縄戦、琉球処分、人頭税、柳田国男ら沖縄文化論、池間栄三 「 与那国の歴史 」を 理解してから行きたい。 軍隊についての言葉は 衝撃的 「軍隊というものは〜自国の住民を守るものではなく、軍隊そのものを守るもの〜軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといった崇高なものであって、具体的な国民ではない」
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「街道をゆく」シリーズの第6巻。沖縄の神は海から来る。宗教的な空のことをアマと言い、同時に海をもアマと言うように、海は神聖者が渡来してくる道なのである。「南波照間島はそういう理由で幻出してきた・・・」自在に展開する「司馬史観」。
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