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文学入門 岩波新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2012/03/01 |
JAN | 9784004140016 |
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文学入門
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商品レビュー
3.6
18件のお客様レビュー
文学の面白さは、慰みもののそれとは異なり、人生的な面白さである。 作者の誠実ないとなみによって生まれた作品中の人生を、読者がひとごとならず思うこと、つまりこれにインタレストをもって能動的に協力することである。 作品とは完了された経験なのである。...
文学の面白さは、慰みもののそれとは異なり、人生的な面白さである。 作者の誠実ないとなみによって生まれた作品中の人生を、読者がひとごとならず思うこと、つまりこれにインタレストをもって能動的に協力することである。 作品とは完了された経験なのである。それでは読者は、その経験を再経験して、インタレストをもつことによって、何を得るか? それはすぐさま行動に爆発するようなものではないが、行動をはらんだ心的態度であり、それはわれわれの行動を規制する力をもっている。 読者が文学によって、人間についての知識を獲得することは、いうまでもないが、その知識は実感に即した、実質のある知識である。そして、そうした知識の裏づけがなければ、理論的知識は空理におわるおそれがある。 人生を充実した、よりよきものとするためには、理性と知識のみでは足りず、さらに人生に感動しうる心が不可欠である。ところで文学こそ、そうしたものを養成するのに最も力のあるものである。 すぐれた文学とは、われわれを感動させ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜすにはおられないような文学作品だ、といってよい。 そうした作品の経験を再経験することによって、われわれは心の中においてではあるが、豊かで深い人生を新たに経験したことになる。それは一つの冒険といってよい。 つまりわれわれを変革するもの、それがすぐれた文学なのである。
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「文学とは何か」の一つの視点。 古典・必読書に学び、かつ現代の文学を冒険する楽しみ。 ときに遠慮会釈なく批判する明確な姿勢も爽快。 ◯インタレストとは「興味」であると同時に「関心」であり、さらに「利害感」でさえあって、それは行動そのものでは決してないが、何ものかに働きかけようと...
「文学とは何か」の一つの視点。 古典・必読書に学び、かつ現代の文学を冒険する楽しみ。 ときに遠慮会釈なく批判する明確な姿勢も爽快。 ◯インタレストとは「興味」であると同時に「関心」であり、さらに「利害感」でさえあって、それは行動そのものでは決してないが、何ものかに働きかけようとする心の動きであって、必然的に行動をはらんでいる。そしてインタレストのないところに行動はありえない。 ◯つまり作者の私的なインタレストが、客観世界のダイナモを通過することによって、公的なインタレストに変わる。 ◯われわれが文学にインタレストを抱くことによって得るものは、まず以上のような心的態度の蓄積だが、それと同時に、人間についての知識の獲得のあることはいうまでもない。 ・優れた文学の要素:新しさ、誠実さ、明快さ ◯真にすぐれた文学は題材の新しさのほかに、発見をもっている。つまり、その作品が現れるまでは何人にも、その作品によって示されたものの存在、むしろ価値が全く気づかれずにいたのが、一たびその作品に接した後では、いままでそれに気づかなかったことがむしろ不思議とさえ感じられる、そうした気持ちを読者に抱かせるものをもっている。 ◯健康な精神をもつ文学者ならば、小さな問題よりも大きな問題に対するときの方が、より多くのインタレストが発動するはずである。 ・既成倫理に従っているかではなく、いかに因習に批判的な態度をとっているか、新しい倫理経験を伴っているか ◯物語は、日常生活をはなれた何か異常な出来事を物語るものであって、そこでは事件にあやつられる人物よりも、事件そのものに興味の中心がおかれる。 ◯小説は、日常の生活を描くものであり、たとえ異常な事件があっても、それは日常生活と同じ原理をもって解しうるものとして現れている。そこでは事件そのものよりも、作中人物に重点がかかり、全体は特異な個性による世界発見という形をとる。
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著者は、日本の大正期頃からの近代小説の傾向について、嘆いておられます。 純文学といえばくだらない私小説、あとはもっとくだらない大衆小説、日本にある小説はこれだけ。要するに、未熟なのだと。 翻って世界には、社会や世相をまるごと切り取り、強大な世界観を構築して、その中を登場人物たちが...
著者は、日本の大正期頃からの近代小説の傾向について、嘆いておられます。 純文学といえばくだらない私小説、あとはもっとくだらない大衆小説、日本にある小説はこれだけ。要するに、未熟なのだと。 翻って世界には、社会や世相をまるごと切り取り、強大な世界観を構築して、その中を登場人物たちが生き生きと闊歩する...、そんな傑作が溢れている。トルストイ、ドストエフスキー、バルザック...。 戦争も終わったし、我々日本人もそろそろそういう本物の文学を読みませんかと。 特にトルストイ『アンナ・カレーニナ』推しです。岩波編集部と読書会まで開いています。盛り上がってきたところ、途中で「もうお時間が・・・」と言われ、「じゃ、京都に帰るんでさよなら」と、あっさり打ち切ってしまうところが、なんだかすごい適当で可笑しいです。 著者と編集部のやり取りから伺えるのは、文学を端から批判的に読むということ。例えば、不倫する女性に対しては、階級意識とか社会制度の影響を考えてみたり。 優れた文学は社会科学の考察の対象にも値すると。 ストーリー任せの一般的な読者とはそもそも目的意識が違うのかもしれません。 批評家の視点から文学作品をどう読むか、文芸批評入門といった内容でした。
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