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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2002/11/14 |
JAN | 9784003021316 |
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東海道四谷怪談
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東海道四谷怪談
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7月26日 幽霊の日 にちなんで選書 1825年(文政8年)7月26日、江戸の中村座で四代目・鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演された。 『東海道四谷怪談』(通称『四谷怪談』)は、四谷左門の娘・お岩が、夫・民谷伊右衛門に毒殺され、幽霊となって復讐を果たすという話で、江戸の町に...
7月26日 幽霊の日 にちなんで選書 1825年(文政8年)7月26日、江戸の中村座で四代目・鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演された。 『東海道四谷怪談』(通称『四谷怪談』)は、四谷左門の娘・お岩が、夫・民谷伊右衛門に毒殺され、幽霊となって復讐を果たすという話で、江戸の町に実際に起こった事件をモデルにしている。怪談の定番とされ、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名であり、また映画化もされていて、様々なバージョンが存在する。
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誰しもが知っているお岩さんの原作。鶴屋南北の代表作である歌舞伎狂言。メインは確かにお岩さんだが、その周辺で繰り広げられるお袖(お岩の妹)・直助・与茂七の話、小仏小平の話もあったことは読むまで知らなかった。作中で幽霊になってしまう小平はお岩さんの対になる役として作られたが、お岩さん...
誰しもが知っているお岩さんの原作。鶴屋南北の代表作である歌舞伎狂言。メインは確かにお岩さんだが、その周辺で繰り広げられるお袖(お岩の妹)・直助・与茂七の話、小仏小平の話もあったことは読むまで知らなかった。作中で幽霊になってしまう小平はお岩さんの対になる役として作られたが、お岩さんほどの人気が出なかったとかであまり知られていないらしい。そして四谷怪談の土台になっているのが忠臣蔵、という構造が大変興味深かった。時折登場する由良之介(=大石内蔵助)という名前や、討ち入りの計画を練っている与茂七など、随所に忠臣蔵を彷彿とさせる言葉が散りばめられていて面白い。
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東海道四谷怪談。 あらすじは岩波新書・四谷怪談でおおかたわかったが、前掲書は四谷怪談に関して考察した本であるため、かいつまんでいたり、前後が入れ替わったりしていて、全体像としてはいまひとつぼやけている。予備知識を仕入れたので原作を読んでみる。 大きくいえば、お岩と伊右衛門夫婦の...
東海道四谷怪談。 あらすじは岩波新書・四谷怪談でおおかたわかったが、前掲書は四谷怪談に関して考察した本であるため、かいつまんでいたり、前後が入れ替わったりしていて、全体像としてはいまひとつぼやけている。予備知識を仕入れたので原作を読んでみる。 大きくいえば、お岩と伊右衛門夫婦の話と、お岩の義妹・お袖と許嫁の與茂七の話に、主人思いの小平の話が絡む。 お岩と伊右衛門は、薄情な夫に捨てられ死霊と化す女の話であり、これがメイン・ストーリーとなる。お袖と與茂七の話はいささか複雑で、與茂七が殺されたと思ったお袖が、自分に岡惚れしている別の男に仇討ちを頼むが、悲劇的な結果に終わる。小平は主人の病を治そうと伊右衛門秘蔵の薬を盗むが、露見してお岩殺しの罪を着せられ、これもまた死霊と化す。 巻末の解説によれば、 ・元禄以来の「お岩伝説」 ・木幡小平次という幽霊役で当たりを取った役者の伝説 ・主殺しの咎で同日に処刑された直助・権兵衛の事件 ・旗本の妾が不義事件を起こし、戸板に打ちつけられた事件 ・堀に心中者の遺骸が流れ着き、鰻取りが見つけて騒ぎになった事件 あたりが、元となっている。 そこに忠臣蔵も加わって、かなり複雑な筋立てだが、うまく編み込み、練り上げられたストーリーになっているように思う。 考えようによっては反社会的にも思える話である。清く・正しく・美しく、はまったくないのである。汚辱と不正と不運。悪と醜。打算に私欲。それをグロテスクなまでに見せつけられることに、快感すら覚えるのはなぜなのか。 おおかたの庶民は、忠臣蔵の義士に喝采しつつも義士のようには生きられない。「大義」の元に生きるのが理想であっても、その理想を生ききることが出来るのは、本人の資質や生まれ落ちた境遇など、さまざまな条件が整った場合だけだろう。 かといって「悪」を生き抜くことが出来るかといえば、そうでもない。心に黒いものが渦巻いていたとしても、実際にそうおいそれと大悪人になることはできない。 多くの場合、どちらへの共感もありつつも、どちらにもなりきれない、中途半端で妥協した生を送る。 だからこそ、善も悪も、極端な形の「様式美」で示されることで、同調し、昇華することが出来るのだろう。 ・・・いや、小難しいことを言っていないで、お芝居は多分、見るのが一番なのだろうが。縁があればいずれ本物を見ることもあるだろう。いつか来るかどうかはわからないその日を楽しみにしておこう。 *江戸から明治にかけての落語家・三遊亭圓朝(1839-1900)の作に、真景累ヶ淵(1859)という、一大因縁話がある。 容貌の崩れた妻、泣き叫ぶ赤子、蚊帳をむしり取って金に換えようとする酷薄な夫の凄惨な場面は、四谷怪談と累ヶ淵で非常によく似ている。 江戸・明治期の人々は、こうした演目を鑑賞する際、自ら聞き知ったさまざまな怪談を合わせて思い出しては、二重三重に恐怖を味わって(あるいは楽しんで)いたのかもしれない。 怪奇と現実がおそらくは今よりは近しく感じられたその時代にちょっと思いを致してみる。
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