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日本人の「死」はどこにいったのか
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日本人の「死」はどこにいったのか
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2007年お盆、京都の五山の送り火のようすがNHKで生放送された。そのコメンテーターで出演されていたのが、山折先生。そのとき、ある人のことを思い、今年は特別な送り火になったとおっしゃっていた。本書の最初のほうでそのことに触れられている。テレビでは個人名を出すべきかどうか迷われたの...
2007年お盆、京都の五山の送り火のようすがNHKで生放送された。そのコメンテーターで出演されていたのが、山折先生。そのとき、ある人のことを思い、今年は特別な送り火になったとおっしゃっていた。本書の最初のほうでそのことに触れられている。テレビでは個人名を出すべきかどうか迷われたのだが、最後には名前を出して、少し涙ぐんでおられた。と思う。しばらく意識不明のままで逝ってしまわれた河合隼雄先生のことである。その後の番組の反響はかなり大きかったようだ。このエピソードを読んで思わず、予定していなかった本書を購入した。「死」ということを忌避する傾向は私にもある。できれば考えずに生きていきたい。しかし、必ず訪れる「死」。これから10年そこそこで、私の両親の死とも向き合うことになるだろう。20年くらいのうちにはパートナーの両親の死にも接することになるだろう。「死」は決して避けて通るわけにはいかない。自分の死と、身内の死と、第三者の死、それぞれを分けることに意味があるかどうかは別に考えなければいけないことだけれど、皆生きているということは「やがて死ぬ」ということ。「生きる力」を養うということが盛んに言われるが、「いかに死ぬか」ということも考えて生きていかなければならないのだろう。本書を読みながら、もう少し気楽に「死」について考えてみようと思った。
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対談の難しさを知る一方、二人の考えの深さに脱帽。 「共死」「死ぬ覚悟」どれも誤解を生み出しかねないが、実は、これらをタブーとしがちなのは「生」ばかりで、「死」が身近にないことの表れであり、わしらの奥底にある無情の考えとの関係性というか、わしらのアイデンティティがどこにあるのかを...
対談の難しさを知る一方、二人の考えの深さに脱帽。 「共死」「死ぬ覚悟」どれも誤解を生み出しかねないが、実は、これらをタブーとしがちなのは「生」ばかりで、「死」が身近にないことの表れであり、わしらの奥底にある無情の考えとの関係性というか、わしらのアイデンティティがどこにあるのかを本当に考えさせられた。 でも、わしとしては、死ぬことは怖いし、その向こうまでは考えられない。
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